幽霊と私の年の差恋愛
「ん……」


最初に感じたのは、規則的にリズムを刻む機械の音だった。

続いて閉じた瞼から透ける、明るい光。つんと鼻を突く薬品のような臭い。


「おや、目が覚めたかい?」


身体が思うように動かず、目だけを声の方へ動かしてみる。

そこにいたのは、アッシュの癖毛が印象的な男性だ。

丸眼鏡の向こうにある、同じくアッシュの瞳に笑みをたたえた、白衣の男性がこちらを見つめていた。


「私……失敗したんだ……」


掠れて上手く出せない声で、そう呟いた。ここが病院の一室であることが、すぐに理解出来てしまったからだ。

白衣の男性は、パイプ椅子に浅く腰掛けたまま、長い足を組み替えた。


「君、一応聞くけど自殺しようとしたの?」


アッシュの瞳に真っ直ぐ見つめられ、脳みそがようやくクリアになり始めた。

美波はうまく声が出ない代わりに、こくりと小さく頷く。

するとその男性は、大袈裟にため息を吐きながら頭の後ろに手を組んだ。


「君さ、まだ若いんだから! 人生悲観するのは、ちょおっと早いんじゃない?」


(この人、お医者さんなのかな……)


美波は半ば彼の瞳に魅入られながら、そんなことを考えていた。まだ何か説教を垂れているが、右から左へと言葉が通り過ぎていくだけだった。

身体は生き残ったけれど、まるで頭だけは未だにあの世とこの世の境を気持ちよく漂っている気分だ。

しかし次の彼の言葉で、美波の脳は完全に現世へと呼び戻された。


「まったくね、君が飛び降りなんてしたおかげで、君は助かったけど下を歩いていた人間が死ぬはめになったんだよ?」


「……え?」


一気に血の気が引く思いだった。

いくら死ぬ気だったとはいえ、自分以外の全てがどうなっても良いと思ったわけではない。

ましてや無関係の人間を巻き込み、その上自分が助かって相手が死んでしまうなんてーーー。


「ほ、本当なんですか? 私、何てことをっ……」


思わず身体を起こそうとするも、力が入らずうまく動かすことが出来ない。まるで自分の身体ではないかのように、いうことを聞いてくれなかった。


「ああ〜! 駄目だよ急に動いたら。君丸三日くらい眠ってたんだから。それにほら、僕はこの通りぜーんぜん、怒ってないから。ね?」


どうしたものかと頭を抱える美波の心情に気付いたように、男性は、アッシュの瞳を丸くする。


「そうか、君は分からないよね。そう、僕こそがーーー」


突然、慌ただしい音を立てて個室のドアが開けられた。


「安西さん、気が付いたんですね!? 分かりますか、ここ。病院ですよ」


看護師が緊張したような面持ちで部屋に入ってきた。美波が不自然な体勢で体を起こしているのを見て、慌てて駆け寄ってくる。

白衣の男性も、のんびりした様子で部屋の入口を振り仰ぎーーー。


「危ないっ……!」


看護師と男性がぶつかった、ように見えた。

確かにぶつかったはずなのに……。


「危ないのは安西さんの方です! 今はまだ安静にしていてください、先生を呼んできますから」


何事も無かったかのように美波の肩を抱いて介抱する看護師に、ベッドへと押し戻される。


「横になって待っていてくださいね」


美波の返事を待たずに、看護師は慌ただしく病室をあとにした。


「なぁんか慌ただしいナースさんだねぇ。新人さんかな?」


相変わらずのんびりと座ったままの男性に、美波は今一度目を向ける。


「あの……あなたはいったい……」


医者ではないらしいことは何となく理解した。それよりも、もっと別の次元で聞かなければならないことがある。

彼が浮かべた笑みの向こうに、病室のドアが透けて見えた。


「申し遅れました。僕は藤原真糸。あ、マイトっていうのは横文字っぽいけど違うんだなぁ。クォーターの僕にも似合うようにって両親が……あら、興味無いって顔だねぇ?」


固まっている美波の表情を見て、真糸はこほんと一つ、咳払いをする。

そして大仰な仕草で片手を胸に当てた。


「そう、僕こそが三日前の自殺騒動で巻き添えになって死んだ、憐れな男さ」










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