拾った彼女が叫ぶから

もう一度

 ──なんか濃い一日だった……。

 王都のオルディス家のタウンハウスに帰ってきたマリアは、自室のベッドに身を投げ出して長い長いため息を吐いた。
 長い一日だった。
 思い出してうつ伏せのまま膝を曲げて手を伸ばす。深紅のパンプスに指を掛けると、ベッドから投げ落とした。コン、コン、と床に靴が転がる。
 しまった。もう少し丁寧に扱えばよかった。
 と、そこでマリアはがばっと起き上がった。駄目じゃないの、このドレスだってまだ。
 ──売れるんだから。

 鉛のように重い身体を叱咤しながら、背中に手をかけ隠しボタンを外す。以前は伯爵家としてそれなりの教育も受けたが、爵位を取り上げられてからはごくごく質素な生活だ。お陰でコルセットがなくてもいいほどにほっそりとした体形になった。胸も若干しぼんだような気がするのはがっかりだけど、コルセットは一人では着付けられないから、必要なくて丁度良かった。
 と、緩めた胸元を覗いてぎょっとした。変な声まで口をついてしまった。
 
「はっ!?」

 ドレスを着ていたときには気付かなかったが、点々と小さな赤い花弁が胸のきわ、薄い皮膚の上に散っている。何これ……と一瞬真剣に考えそうになってマリアははたと思い出した。そういえば昨日、この辺りにも吸い付かれたんだった!
 これがどんなものかは知っている。赤い痕は、所有の証。愛しい人が自分のものだと示すための印だ。でも見たのは初めてだった。
 その話を聞いたときには、そんな人もいるのかという程度にしか感じなかった。
 マリアは一通り赤くなったり青くなったりして、それからすとんと心が落ち着いた──というよりも凪いだように静かになった。
 
 ──三年間ずっと、一人で恋をしていたのね。

 不思議に、痛みは感じなかった。ただ、そうだったのかと思っただけだ。
 ゲイルの左手にあった指輪を思い浮かべる。その指輪と、赤い痕など付けられたことのない自分の身体は、同じことを指していたのだ。
 間抜けな自分の姿に乾いた笑いが漏れた。
 逆に、一晩だけの相手でもこういうことをする人はいるのね──とマリアは一つ心の中で付け加える。そこまでは知らなかった。またため息が勝手に出て行った。

「あれ? そういえば……」

 マリアはドレスを脱ぐ手を止めた。
 そういえば、ルーファスとは間違いなく初対面である。他の王子二人はもちろん顔を知っている。なぜなら、王族主催の催しに参加するときには、まず彼らへ拝謁をするからだ。たとえマリアが社交界にデビューする前の少女だとしても、王族の顔と名前は貴族として当然知っていなければならない。
 ルーファスに拝謁した記憶がないのはなぜなんだろう。

「ええい、王族様のことなんて考えたってわからないし!」

 マリアはふるふると頭を振り、ドレスをするすると脱いだ。
 シュミーズとドロワーズだけの姿になると、律儀にドレスを続き部屋になっている衣装部屋に仕舞う。
 このドレスはお手入れをしたら、売りに行こう。それとも普段使いのワンピースに仕立て直せるだろうか……と思い直してやっぱり駄目だと首を振った。これだけ胸元が開いていると詰めるのも難しい。色も普段使いにするには鮮やかすぎる。
 
 ──終わった、ね。
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