拾った彼女が叫ぶから

ルーファス

 ルーファスが眦を下げて、マリアの身体を引き寄せる。その仕草はさりげなくて自然で、気遣いすら感じられた。
 なぜだろう、不意に泣きたくなった。
 感傷に浸りそうになった自分を叱咤する。もう終わったことだ。取り敢えず王都の屋敷に戻ったら、そのままかつての領地に戻ろう。それからのことはそれからだ。明日は明日の風が吹くって言うし。

「行きましょうか。足腰立ちます? 僕が抱き上げても構いませんよ」
「誰があんたなんかに。歩けるわよ、これくらい」
「はは、マリアさんはそうでなくちゃ。でも本当に辛くなったら言ってくださいね?」
「──そのときはね」

 ルーファスが妙に優しくて戸惑う。こんな風に気遣われるのには慣れていない。彼は慣れているみたいだけど。

 ──そう言えば……指輪、してたし。
 昨夜彼の左手に見つけた指輪を思い出して、ドキドキしていた胸がすっと冷えていく。代わりに感じたのは、何とも言えないもやもやとした気持ちだった。
 それを振り払うように、王立図書館を出て馬車に乗り込む。ルーファスが、向かい合わせではなく隣に並んだ。それも妙に近い。なぜなのだ。

「ねぇ、ルーファス。あんたのその指輪……」
「ああ、これですか? 見つかっちゃいましたか」

 ルーファスが左手をひらひらさせる。苦笑はしながらも、悪びれたところがない。
 ──結婚しているくせに。

 この一日で何を信じたらいいのかすっかりわからなくなってしまった。信じられるものがあるのかさえ。
 昨日あんなに優しく──そう、あれは実際優しかった。乱暴にした方がいいか、と聞かれたような気がするけど、あれはちっともそんなのではなかった。マリアの反応を見ながら加減してくれていたのに。

「やっぱりそうなんだ」

 返す言葉は冷たくなった。

「すみません、黙っていて」
「ううん、私ってつくづく見る目ないなあって思うだけだから。やっぱり一人で帰る。ルーファスも早く帰りなさいね。じゃあ」

 マリアは彼の腕を外そうと身をよじらせる。

「マリアさん、もう馬車は動いていますよ。動かないで。そんなに嫌でした?」
「嫌に決まってるじゃない。奥さんのいる人なんて──ひっ」
「奥さん?」

 ルーファスがぐっと腰に巻きつけた手に力を込めたので、マリアは軽い悲鳴を上げた。近いどころか、密着しているじゃないか。
 ついさっきなんて、眠るルーファスの膝上に乗っていたわけだし今更ではある。でも、今のは明確な意思を感じるからこそ、その仕草にどきんと心臓が跳ね上がった。
 まるで逃がさないと言われているようで、ひゅっと変な息が漏れる。

「もしかして、これ、何かと勘違いしてます?」
「何って、それ婚約指輪か結婚指輪かのどちらかでしょ。あの人も付けてたもの。それとも、ルーファスもあの人と同じなの? カモフラージュ?」
「マリアさん、ガードナー公と同じにしないでください。僕って知名度低いんですね……ってある意味当たり前なんですけど」

 最後は遠くを見る目でぽつりと零す彼の横顔を探りながら、マリアは今の彼の言葉の意味を考えた。

「それってやっぱり結婚はしてるってことでしょう? 昨日のことは私も忘れるから、あんたも心配しなくていいわよ。それより早く帰って奥様を安心させてあげて」
「マリアさん、違いますって。僕は結婚してません」
「じゃあやっぱり偽装……」
「なんで思考がそっちに行くんですか。これはそういう類の指輪ではありませんよ。ほら良く見て」

 ルーファスが腰を捻る。ほとんど抱き締められているような格好になり、マリアはあまりの近さにたじろいだ。
 昨日の情事の名残か、彼のつけていた香水か何かの新緑のようなさわやかな香りにほのかに汗の匂いが混じって鼻をかすめる。それが妙に色っぽい。
 そわそわして、落ち着かない。
 いちいちそういう些細な仕草やら彼の匂いやらに気付くのが悔しい。ここが密室みたいになっているのが悪いと思う。

 ルーファスが目元を緩めると、その至近距離で左手を差し出した。
 その指輪はシンプルな輪ではなく、かと言って宝石がはめ込まれた豪奢なものでもなかった。金の台座は平たい楕円形をしていて、そこには中央に梟が、頭上で交差する二本の剣と共に彫ってある。どこかで見たような絵柄だった。
 ──ううん、これはどこかで見たなんてものじゃない。
 もう一度、信じられない思いで凝視する。
 目の前の紋章が記憶にあるものと一致したと同時に、マリアは仰け反った。

「国章じゃないの……!」
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