祝言を終えた志鶴(しづる)はとうとう、生まれ育った「北町」の組屋敷から、婚家の「南町」の組屋敷へ移ることとなった。

同じ八丁堀にある目と鼻の先なのに、ずいぶん遠いところまで来てしまったと思った。

それほど、互いに行き来はなかったのだ。


夜も更け、志鶴は婚家の松波の屋敷であてがわれた寝間で、実家で支度した真っ白な寝間着に着替えた。

寝間着、といっても、もう一つの「花嫁衣装」である。滑らかな肌触りの羽二重の上物だ。
かようなところにも支度した母親の「北町の矜持」が感じられる。

武家の妻は、夫とは寝間が別である。
夫から同衾するよう申しつけられた時に、妻が夫の寝間へ通う。

奉公人が志鶴を呼びに来た。

今宵は「初夜」である。

志鶴は覚悟を決めて、立ち上がった。


本日、正式に夫となった松波 多聞(たもん)とは、一言も話すことなく、しかも顔さえもちゃんと見ていなかった。

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