伯爵令妹の恋は憂鬱
プロローグ

 伝令が、けたたましくクレムラート伯爵邸の扉を開けたのは、みなが寝静まっている深夜だった。最初にたたき起こされたのは執事のアントンで、彼はその内容から、翌朝まで待てる話ではないと、寝間着姿のまま、恐る恐る当主の寝室の扉をノックした。

「誰だ?」

眠っていた割にははっきりとした、しかし不機嫌そうな声に、アントンは「急ぎお伝えせねばならないことがございます」と内心はびくつきながらも毅然と続ける。

「入ってもよろしいですか?」

「いや、いい。そこで待ってろ」

節度を守ることにかけては定評のある執事の深夜の訪問に、クレムラート伯爵家当主・フリードは眉をひそめ、隣で薄目を開けた妻に「そのまま横になっていていい」と告げてから立ち上がった。

フリードはまだ二十二歳の若い当主だ。しかし、苦労の多い人生を送った彼は、その年齢にしては思慮深く、行動力もある。身重の妻に気遣い、ガウンを羽織って廊下にでてアントンと対峙した。

「なんだ、アントン。こんな夜中に」

アントンは恐縮した様子でフリードに頭を下げる。

「申し訳ありません。北の別荘地から使いが来たのです。リタ様がお倒れになったと」

「おばあ様が?」

リタ=クレムラートは六十三歳。二代前のクレムラート伯爵の奥方で、フリードにとっては祖母に当たる。
十年前につれあいを亡くしてから北の別荘地へ居を移していたのだが、数年前から少しずつ体調を崩していた。高齢になっていることもあり、定期的に医者は往診していたはずだが、倒れるのは初めてだ。驚きのあまり、フリードは一瞬言葉をなくした。

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