生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

17、娘の憧憬 前

 カスケイオスに不穏な提案をされてから数日が経った。
 その日以来、カスケイオスはやたらと娘に構う。
 初対面で斬りかかったことを詫び、詫びの品として踊り子の鈴を贈った。
 娘はこれまでにないくらい喜び、さっそくそれを手に踊った。
 見物客が神官見習いたちだけではつまらないだろうと、神殿を訪れる者たちから見える場所でも踊らせる。

 セリウスは心おだやかではいられなかった。
 カスケイオスの人となりからすると、何の考えもなく行動を起こすはずはない。
 娘はカスケイオスに何らかの下心があるとはまるで気付いた様子なく、カスケイオスと親しげに話し、心を許してさえ見える。

 あと一ヶ月足らずで神に命を捧げられることになる娘をも、カスケイオスは自らの計略に利用しようというのだろうか。だとしたら到底許せることではない。

 だが、カスケイオスの意図が読めないために、セリウスはどうすることもできないでいた。

 そんなセリウスを尻目に、カスケイオスは布紐を調達してきて娘に与えた。
 足に布がまとわりつくトゥニカでは踊りにくかろうと、布紐で裾をくくって上げてしまったらどうかというのだ。
 うら若い娘になんというはしたない恰好をさせるのかとセリウスは怒ったが、娘は喜んで布紐を受け取り、裾を上げてしまった。

 セリウスは娘の露わになったすねから視線を泳がせ、顔を真っ赤にして怒った。
 ──おまえには羞恥心というものがないのか?
 ──ないこともないですけど、足を大きく上げて踊るのが踊り子というものですよ?
 娘にそう返されて、セリウスは言葉に詰まった。

 世俗に疎いため忘れがちになるのだが、娘は色気がなくとも娼婦なのだ。
 肌を露わにして、男に春をひさぐ者。
 娼婦たちは客を取るために、淫らに踊って男を誘う。
 色事とは無縁に見えるこの娘も、そうやって日銭を稼いで生きてきたのだと思うと、何だか奇妙な心持ちになる。

 娘を非難するつもりはない。そういう生業を必要としているのは男のほうだし、娘は奴隷で職業に選択肢はなかったはずだ。
 だが、目の前で太腿も露わに踊られると、目のやり場に困ってしまう。

 神官見習いだったセリウスは、世俗に下ってからも女を近寄らせず、周囲の者たちには堅物と呼ばれからかわれていた。
 しかしなんと言われようと、物心ついた頃から染みついた教育を捨てきることなどできない。女を近寄らせず、一生神に仕える。人生の半分以上をそのつもりで生きてきたセリウスに、今さら別の生き方などできはしないのだ。

 神殿中広場中央で踊る娘を、セリウスは回廊の上から眺めていた。
 中広場は回廊より数段低くなっていて、見物の者たちに取り囲まれていても、娘の姿が確認できる。遠すぎず近すぎない距離を保つこともできて、セリウスにとって好都合だった。

 鈴を軽快に鳴らしながら娘が踊っていると、カランカランと鐘が鳴り始める。午後の時を報せる鐘で、神官見習いたちはこの鐘を合図に講堂へ向かい、そこで神官たちから講義を受ける。
 一時期、娘の踊り見たさかサボりたいがためか、なかなかこの場を離れようとしない者たちがいた。そのため、娘は自分からこの鐘を休憩の合図と決め、見習たちがいなくなるまで踊りを再開しなくなった。

 この日も、鐘が鳴る中、見物の者たちと言葉を交わしながらセリウスのほうへやってくる。
 娘が歩くたびにたくし上げられたトゥニカの裾がゆらゆらと揺れて、セリウスは目のやり場に困ってそっぽを向いた。

 近くまできた娘が、セリウスに声をかける。
「座ってもよろしいですか? 」
 否と言うはずもないのに必ず聞いてくる。

 セリウスが「ああ」と返すと、娘はセリウスの手前の階段に腰を降ろした。少しして振り返り見上げてくる。
「ずっと立っていてお疲れにはなりませんか? よろしかったら、その……」
 お座りになられませんかとは言い出せない娘の遠慮に気付いて、セリウスは娘の後ろの段に腰を降ろした。

 立ち続けることに苦痛はないが、目線が下がるのは丁度いい。娘はくくった裾をそのままにしていた。まだ踊るからそのままにしているのだろうが、立ったまま見下ろすと生白いふくらはぎとか目のやり場に困る。かと言って、踊っていないときは裾を直せと注意する勇気もない。

 恥じらいのなさも困りものだったが、この娘の無邪気さは一体なんなのだろう。命じたわけではないのに、踊り終えるとセリウスの側に寄ってくる。その上気遣いなど見せられると、慕われていると勘違いしそうで落ち着かなくなる。

「貴方様はセリウス・マイウス様と仰るのだそうですね」
 急に話題を振られ返答に詰まった。名前がどうかしたのかと問うこともできない。

 階段に横座りして上段に座るセリウスを見上げた娘は、セリウスの返答を待たなかった。
「そんな有名なお方があたしのような一介の奴隷の監視をなさっているなんて、びっくりしました」

「有名? 私が?」
 ようやく言葉が出てくる。娘は嬉しそうにした。
「はい。あたしのような者ですら存じ上げていたくらいですから」
 嬉しそうにして娘は語りはじめた。
「皇帝の血を引きながら数奇な運命によりその身分は皇子位になく、幼少のみぎりにはエゲリア・ラティーヌ神殿にて神官見習として学を学ばれ、成人して世俗に戻られてからは騎士となられ一軍を率いる常勝の指揮官であらせられる」
 すらすらと語るものだから、セリウスはたじろいでしまう。

「いや……常勝というわけでは」
「知っています。“タウルス防戦”ですね」
 弾むように娘は言った。
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