生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

21、皇帝御前の舞い

 ユノはひれ伏して皇帝を迎えた。皇帝が現れると、背後の段々の席にびっしりそろった男たちは立ち上がり拝礼する。

 皇帝はひ弱そうな体躯と揃いな弱々しい顔立ちをしていた。壮年期に入り一番体力が充実する年齢のはずなのに、頬は痩せこけ血色も悪い。普通のものよりひだがたっぷりとしている紫のトーガをまとっている。
 皇帝に寄り添って現れた妃は、皇帝とは反対に瑞々しく血色のよい肌をした、健康的な美人だった。縁に刺繍の入ったトゥニカに鮮やかな桃色のトーガをまとい、髪を細かく編んで高く結い上げていた。首飾りにイヤリング、腕輪に髪飾りと、たくさんの装飾品を身につけていた。

 妃は会場を見回して眉をひそめた。
「このように男性ばかりの宴席とは聞いておりません。わたくし退がらせていただきますわ」
 ここは宴席というには程遠い空間だった。くつろげる臥台はなく、料理も酒も出てこない。ユノのひれ伏す半円形の床は、階段状にしつらえられた長いすに囲まれていた。半円形に並べられた椅子の前に立つ人々から、ユノとその正面に現れた皇帝陛下へと視線が注がれる。

 恥も外聞もない情けない声で皇帝が言った。
「ま、待ってくれリウィア。わしを一人にしないでくれ」
「ですがこんなにたくさんの男性がお揃いの席なんて恥ずかしい……」
 良家の女は家族以外の男性と顔を合わせないのが好ましいとされているから、リウィアの反応は至極真っ当だった。

 しかし皇帝はそれを媚態ととったようだった。
「愛いやつよ。恥ずかしいならそなたを抱いて隠してやろう。そなたにも見せたかったのだ。神も愛でるという噂の踊りを」

 リウィアは父親である皇帝補佐をちらり見た。波打つ髭をたくわえた皇帝補佐アレリウスは、一歩前に出て深々と頭を下げる。
「恐れながら陛下、妃様にもお席をご用意してございます。妃様もこの場に集いし元老院議員の皆様の目をお気になさることなく噂の巫女の踊りをご堪能ください」
 離れるのを嫌がる皇帝をなだめて、妃の席を玉座にぴったり寄せる。

 寄せている最中に揶揄が飛んだ。
「リウィア様におかれましては妃の座を退位なさったのではありませんでしたか?」

 アレリウスは一瞬眉をしかめたもののすぐにすまして答えた。
「リウィア様はやむを得ない事情によりご退位を望まれましたが、次に妃に就かれたお方が神の生贄に選ばれてしまったため、いつまでも妃の位を空位にしておくわけにもいかず、再び妃に立っていただいたのです」
「ではそこにひれ伏されておられるお方は先の妃様ですか。かつて陛下の寵愛を受けられたお方をこのようにひれ伏させるとは非道が過ぎやしませんかね」
「これ、口が過ぎますぞ」
 揶揄した男は、前列にいる老齢の男に窘められて口を閉じる。

 席のあつらえが済み皇帝が妃とともに席に着くと、座ってよいという皇帝からの号令で全員が席に着いた。
「そのほう、顔を上げよ」
 ひれ伏したままだったユノにようやく声がかかる。しかしユノは動かなかった。
「顔を上げよとの陛下の仰せであるぞ」
 怒気を含んだ声でアレリウスはユノを促す。

 ユノは肩を震わせ、それからゆっくりと顔を上げた。
 ひれ伏していたユノには何も見えなかった。けれどもこの場で交わされる全ての会話を耳にした。
 今更だけど、あたりまえのことだけど、泣けてくる。
 むこうは貴族、しかも妃で大事に守られる。一方ユノは奴隷、いくらでも替えのきく消耗品。

 『本当は貴族の娘』というのは夢物語だけど、実際にありうることだった。
 貴族であれ市民であれ、いらない子供は道端に捨てる。だから奴隷の中には間違いなく貴族から生まれた子供がまじっている。
 捨てられない子供と捨てられる子供。その違いがどこにあるのか。

 世の中は不公平だ。どうしてユノは身代わりにされる側でなくてはならなかったのか。ダメだと思ってもどうしても涙が流れた。

 だから顔を上げよと言われてもすぐには上げられなかった。
 肩を震わせるほどぎゅっと目を閉じ、涙を払って顔を上げた。
「さっそく踊ってみせよ」
 一番近くにいるのに、皇帝はユノの涙に気付くことはなかった。

 ユノは立ち上がり、深くおじぎをする。そっと両手を掲げ静止し、そこから鈴を鳴らして踊り出す。

 しゃん! しゃららん!
 静まり返った室内に鈴のかわいらしい音が響いた。この音が踊りを彩る音楽となる。

 けれどもう一つの音楽である手拍子やかけ声はなかった。無言で見入ってくる視線が痛い。見物人によっては居ない方がましだということをユノは初めて知った。ユノは居たたまれなさにうまく踊れなくなっていった。

 もう踊るのさえ辛い。
 そんなときだった。

 ぱん ぱん ぱん

 ユノのぎこちなくなった踊りに合わせて一つの手が打ち鳴らされた。くるりと回転しながら、ユノはその人物の姿を捉える。
 最後列の一角で立ち上がって手を鳴らすのはセリウスだった。セリウスは注目を浴びて手拍子を乱したものの、やめようとはしなかった。

 セリウス様……。

 ユノはセリウスに勇気づけられ、手拍子に合わせてくるくる踊る。
 ユノの踊りが軽快になってくると、気分が乗ってきたらしい観客が、ぱらぱらと手拍子を打ち始めた。

 より励まされ、踊りは力強くなっていく。ユノの強張っていた表情は和らぎ、極上の笑みになる。最後の方になると、ユノは本気で踊りを楽しんでいた。
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