生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

25、毒味

 泣きつかれて眠ってしまったらしい。
 ユノが目を覚ましたとき、辺りは暗く、物音一つ聞こえなかった。いつのまにか人々が寝静まった時間になってしまったようだった。

 泣いてずいぶん気は治まったけど、思い返せば涙は枯れることを知らずあふれてくる。
 妃とか貴族ほどの身分が欲しいとまでは望まない。けれどせめて命を軽んじられるような身分でなかったらよかった。

 身を起こしてすんと鼻を鳴らす。

「起きたか」
 声をかけられて飛び上がった。暗い部屋に人が居るとは思わなかった。振り向けばテーブルには小さくランプが灯り、セリウスが椅子に座って腕を組んでいる。

 セリウスは組んでいた腕をほどいて立ち上がった。テーブルの上に置かれた箱を開けて中身を取り出す。熱そうに取り出されたパン。焼けた石をスープに落とし込むと、スープはじゅっと音を立て湯気を上げた。

 ユノはその珍しい光景を、あっけにとられて見つめた。
「どうした? 腹が空いているのではないか?」
 寝台を降りてこないユノをセリウスは促す。

 早朝食べたきりだったから空いているに決まっている。けれどユノは掛布を身に寄せて警戒した目をセリウスに向けた。

 ──無駄に命を縮めたくなかったら皇帝陛下の仰る通りにしていることだ。

 この人は皇帝が何を言い出すか知っていて、それでもユノに言う通りにしろと言ったに違いない。

 もう騙されてやるものかと思い、ユノはセリウスを睨みつけた。
「世の中には痺れ薬という、体の自由を奪う毒薬があると聞いたことがございます。そういったものを使われてあたしの体をいいように扱われたらたまりません」

 注ぎ口のついた壷から杯に飲み物を注ごうとした手を止め、セリウスはまじまじとユノを見つめる。

 そのとぼけたような表情にますます腹が立って、ユノはもっと強く睨み付けた。。
「だから死ぬまで何も口にいたしません」

 自分でもおかしいことを言っているとわかっている。わざわざそんな毒を盛る必要なんかない。さっきまでセリウスの気配に気付かないほどぐっすり眠り込んでいたのだから。

 けれどセリウスに抱いた不信はどうしようもなかった。セリウスの言うことなど聞くものかと意固地になる。

 セリウスは呆れた様子でため息をついた。
「どこからそんな話を聞いたんだ? 奴隷だったのなら学はないだろうに。妙に博識だな、お前は」
 言いながらセリウスは食事に手を伸ばした。
 パンを一欠千切って自らの口に放り込み、スープをさじですくって飲み、杯に口をつけた。
「ほら、これで何も入っていないとわかっただろう?」

 それでもユノが動かないでいると、セリウスは淋しげな笑みを浮かべてテーブルを離れた。
「私がいては食事もできないか」

 扉を出て行くとき、セリウスは少し立ち止まる。
「今日のことはすまなかった」
 そうして扉をぴったりと閉めた。

 セリウスが出て行ってもユノはしばらく寝台を降りなかった。驚きすぎて動けなかったのだ。
 彼が自分のために給仕するのもびっくりだが、毒見までしてくれて天地がひっくり返るような思いだった。
 奴隷のユノに貴族のセリウスが奉仕する。これではあべこべだ。

 ただ、セリウスはどうやら身分差に対する意識が多少、いや、かなり欠けているようだった。
 平民身分のカスケイオスに対しても居丈高になることなく、友人として年長者として尊重する。貴族で、貴族の中でも位の高い騎士身分で、皇帝の血筋すらも受け継ぐのに、どうもそういう身分に見合った気位の高さがない。貴族であるという自覚すら足らないというか。

 考えていたら何だかおかしくて笑いたくなってきた。
 本当に笑うことまではしなかったけれど、それで気が緩んだせいか、次第に空腹が耐え難くなった。

 意地を張っているのも馬鹿らしくなって、ユノは寝台を降り席に着いて食事に手を伸ばした。近くで見るとパンは湯気をあげていて、焼けた石を入れられたスープはほどよく温まっている。その温かさにユノの心はほぐれていく。

 ──今日のことはすまなかった。

 謝ってくれた。助けなかったことを悪かったと思ってくれた。

 パンを咀嚼しながら涙があふれてくる。不遇を強いる人がいるかと思えば、やさしくしてくれる人も存在するのだった。
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