生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

35、間接キス

 娘は椅子に座って、テーブルの上の食事をじっと睨みつけていた。セリウスの訪れにびくっと体を震わせ一瞬顔を上げたものの、すぐにうつむいてしまう。

「外に出ていてくれ」
 セリウスはイケイルスにそう告げると、目の前で扉を閉ざした。

 毒見をしてきたことは誰にも話したことはない。貴族が奴隷身分の者のために毒見するなど考えられないことだったからだ。毒見が必要なら奴隷を連れてくるべきだ。
 わかっていながら自らが毒見を続けた理由が、今ならわかる気がした。自分がそうしたかったのだと。

 セリウスは飲み物に口をつけ、スープをスプーンですくい、パンをちぎろうとしてその手を止めた。

 毒見はセリウスにとって、触れ合うわけにはいかない娘に近付くことを許された瞬間。

 パンをそのまま口に運び、そっと一口かじって皿に戻した。

「これでいいだろう?」
 何をしてるでもないのに、息があがってくるのをセリウスは感じていた。

 娘はおそるおそる果実水の入った杯に手を伸ばす。静まり返った部屋の中で、娘が一口飲み下す音がやけに大きく聞こえた。

 セリウスはこの場に留まっていられなくなった。。
 これ以上居たら自分の異変に気付かれてしまう。セリウスはきびすを返して大股に部屋を出た。

 外で待っていたイケイルスに食べたとだけ告げ、後は黙して部屋に戻った。

 早足で部屋に滑り込んだセリウスは、誰も入ってこれないように体で扉を押える。

 心臓の鼓動が早かった。こっそり仕掛けたいたずらがばれやしないかと胸高鳴らす子供のようだ。
 自分の幼稚な行動に羞恥を覚えながら、セリウスは戸にもたれたまま指で唇をなぞった。


 毒見をするセリウスを、ユノはぼんやり見上げていた。

 嫌われただろうと思っていた。よく寝付けないまま朝を迎えたユノは、セリウスの従者が朝の迎えに訪れたのを見てやっぱりと思い、悲しくなった。

 ずうずうしい願いを口にしてしまったものだ。奴隷ぶぜいが貴族に情けを望むなど、おこがましいにもほどがある。
 ましてセリウスは、元とはいえ神官見習だった。女性と交わることを禁じる教えを受けた彼にとって、ユノは何と汚らわしく思えたことだろう。

 手酷く拒絶され、避けられるくらいなら言わなければよかった。

 その辛さも、踊っている最中は忘れられる。しかし踊っていられなければ、後悔が身も心も苛んで目尻に涙がたまるのだった。

 食事もやはり従者が運んでくる。
 ユノは食べないと言った。
 従者は心配してくれるけれど、セリウスが運んできてくれたものしか食べたくないなどとは言えない。
 ユノは幼子の我儘のようにただただ拒むことしかできなかった。

 セリウスを連れてきてほしいとは言わなかった。しかし従者は困ってセリウスに相談したようだ。

 難しい顔をしてセリウスはやってきた。ユノはびくっと体を震わせた。
 何でもない仕草や、低い声が恐ろしい。おまえなど嫌いだと言われているようで怖かった。

 だから人払いしていつものように毒見をしてくれたときは、夢を見ているような心持ちになった。
 怖かったことを忘れぼんやりセリウスの手元を追う。
 パンが皿から取り上げられ、セリウスの口に運ばれる。ユノの胸がどきんと高鳴った。

 セリウスはパンを小さくかじり皿に戻す。
「これで、いいだろう?」
 セリウスの声が熱っぽく聞こえた。

 気のせいだろう。ユノ自身の体温が上がっているからそう聞こえただけだ。熱にうかされ小刻みに震える手を果実水の杯に伸ばした。

 これ以上嫌われたくない。ユノがまだセリウスを求めていると知られてはならない。

 緊張で果実水を飲み下した喉は、やけに大きな音を立てた。
 セリウスはそれをユノの食事開始と見て出て行ってしまった。

 出て行ってくれたことにユノはほっとした。
 震える手をこらえながら杯をテーブルに戻し、ユノは胸元を押し抱いた。
 心臓がばくばくいう。まるで口付けらたような気分になった。

 貴族が奴隷の毒見をするというあべこべを奇妙に思っていた昨日までと、何か変わったことがあっただろうか。
 いいや、何も変わっていない。ユノが自分の恋に気付いたことと、セリウスがパンに直接口をつけたこと以外。

 ユノはセリウスが齧った跡を凝視した。
 誘われるように手を伸ばし、齧り跡を自分に向ける。
 そしてパンを唇に近づけながらそっと目を閉じた。
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