生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

38、カスケイオスの希望

 カスケイオスは地方の農家に生まれ、成人すると同時に家を出て帝国兵に志願した。十四年前のことだ。
 数年前から帝国は蛮族の侵攻を許していた。蛮族たちは狩りでも行うかのように農村を蹂躙し、欲しいものを何でも奪っていく。食糧も人間も。カスケイオスの住んでいた村も襲われた。越冬の備蓄と母と姉が奪われた。十三の子供だったカスケイオスは、目の前でむざむざと大事な家族を奪われなくてはならなかった自分の無力さを呪った。

 母と姉の不在を悲しみながら、大怪我を負った父とカスケイオスと共に隠されていた妹、三人でわずかな食物に草根を混ぜて飢えをしのぎながら一冬を越した。その間に力が欲しいと願うようになっていた。税を取れるだけ搾取していきながら、蛮族に襲撃された村に救いの手を差し伸べてくれない帝国など当てにならないと思った。

 当てにならない帝国を自分の力で変えてみせると村を飛び出していった無知な若者は、現実を知って絶望する。身分の壁、貧富の差、蛮族のように背の高いカスケイオスは差別の対象だった。

 支給品を盗まれたり食事を横取りされたり、こまかい嫌がらせが続く中で体を鍛え戦闘能力を磨き、そのうち誰もが恐れをなしてカスケイオスにちょっかいかけることをやめた。
 逆にカスケイオスは彼らを利用しはじめる。指揮官に知られないよう自分の所属する部隊を指揮して、戦場を上手く立ち回って蛮族に打撃を与え、小さいけれど確実に功績を数えていった。
 戦功がたまると二十一歳という若さで軽装歩兵隊の隊長に任命された。カスケイオスの身分からするとここが限界だった。装備を自分でろくに揃えられない貧しい帝国民は、軽装歩兵隊内での地位以上のものを望めない。
 それでもあきらめず先鋒であり実質軍唯一の実働部隊である軽装歩兵隊を指揮して、いくつかの小部族に対して次々勝利を挙げていった。そうしたらチャンスがめぐってきた。

 それが元老院の重鎮トリエンシオスとの出会いだった。

 有能な人材を求めていたトリエンシオスにカスケイオスの噂が届き、配下として雇われないかと誘われる。カスケイオスは除隊してトリエンシオスに仕えた。命じられた任務にカスケイオスは内心狂喜する。

 村を出てわずか四年、一度は絶望したのに、こんなに早くチャンスが巡ってくるなど信じられないほどだった。
 カスケイオスは任務のために帝国の歴史、政治を覚え、軽装歩兵隊に属していただけではわからなかった軍全体の指揮のとり方を学ぶ。一年足らずの短い期間に詰め込めるだけ知識を詰め込んだカスケイオスは、神殿を守る兵士としてエゲリア・ラティーナ神殿に送り込まれた。
 カスケイオスの使命は神官見習のセリウスという少年とさりげなく親しくなり、学んだ知識を話して聞かせながら少年の身の安全を図ること。

 ──その御方は来るべき時に帝位に就かれる。

 貧しい農村の出であるカスケイオスが未来の皇帝の教育係になる。戦場を経験したことがあり、知略に富んだ機転の利く人材は貴族に捜しても居なかった。それゆえの大抜擢だった。

 神殿兵着任早々セリウスと親しくなり、友と呼ばれるまでに信頼を得た。その素早い行動力によってトリエンシオスの信頼も勝ち得ていく。

 この任務はカスケイオスが真に目指していたものだった。──当てにならない帝国を自分の力で変えてみせる──次期皇帝が自分の思うように教育できれば、帝国のしくみを変えることができる。
トリエンシオスに指示された勉学だけでなく、帝国の現状を、農村から税を搾取しておきながら、蛮族が農村を荒らしても助けようとしない帝国軍の怠慢さを説いた。

 セリウスは残酷な話は嫌がったものの、その他のことはおおむね素直に聞いた。
 清く正しい素直な少年は十八歳の成人の歳を迎えると同時に世俗に戻り、貴族階級に任ぜられて指揮官として戦地に赴く。そして初めて指揮したタウルス戦役で、他の指揮官が成し得なかった勝利を挙げた。

 皇帝への道の第一歩を華々しく飾ったセリウスは、アレリウスの策略によってろくに戦闘のない地へ飛ばされてしまう。予想以上のスタートを切ったと思ったら閑職に引っ込んでしまう浮き沈みの激しさに一喜一憂しながらも、手紙のやりとりを重ねつつセリウスの成長を辛抱強く見守った。

 アレリウスに利用されて生贄を送ってきたときには、命令と言われれば何にでも馬鹿正直に従う生真面目さにさすがに不安を覚えた。おまけに恋に翻弄されて前後不覚に陥るし、自分は臆病だと言って帝位を頑なに拒む。

 しかしカスケイオスはセリウスの本心を知って、セリウスこそが皇帝になるべきだという思いを新たにした。

 ──蛮族の襲撃と内乱で大勢の人間が死ぬぞ? その犠牲者のほとんどが、権力抗争に関係のない、毎日真面目に働いて帝国を支えてくれている農村部の人々なんだ!

 届いていた。
 カスケイオス自身忘れかけていた、村を出た当初の志は、セリウスに受け継がれ根付いていた。

 冗談交じりに、嫌がるのを面白がる振りをして教え込んだ戦争の惨状。その話題に密かに込めた下層帝国民の悲哀、搾取されるのにその見返りはなく、蛮族に蹂躙されても放置された。
 運命に翻弄されているとはいえ厳重に守られ何不自由なく育ってきた青年が、自分の境遇とはかけ離れた下層帝国民を理解を示してくれたのだ。

 比類なき大帝国になってから、そのような皇帝が現れたことがあったろうか?
 二代続いた粛清のために、皇統を継ぐ者は現皇帝とセリウスの二人しかいない。そうでなかったとしても、カスケイオスにはもうセリウスしか考えられなかった。

 セリウスを皇帝に押し上げて、帝国を変える!

 しかしセリウスは一層憔悴の影を濃くし、カスケイオスを避けるようになってしまった。
 セリウスの従者を務めるイケイルスが、不安そうに言った。
「カスケイオス殿、このままではセリウス様は」
「言うな!」
 カスケイオスは怒鳴ってイケイルスの言葉をさえぎった。

 このまま娘が死んでしまったら、セリウスはどうなってしまうかわからない。最悪生きる気力を失って。

「何とかする! 俺が何とかしてみせる」
 その言葉はむしろカスケイオス自身に向けられていた。
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