生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

4、緋色のマント

 大部屋に戻ったユノは、同室の年の近い女の子たちにからかわれた。
「取り上げられちゃって残念だったわねー」
 ユノはべーと舌を突き出した。
 取り上げられたわけじゃない、ニカレテに預けたのだ。それを言ったところでさらにからかわれるだけだとわかっていたので、ユノは黙っておくことにした。

 彼女たちは今のユノと同じ娼婦見習だ。同じ部屋で一緒に生活し、娼婦として働いている姉さんたちの世話や一階の酒場の下働きをしながら娼婦になるための勉強をしている。踊りたがるユノを、娼婦になりたがっている変わり者だと思っている。仲が悪いわけじゃない。ただ、ユノの踊りたいという気持ちだけ理解してくれないだけだ。

 挨拶代わりにからかいの言葉をかけた彼女たちは、すぐに別のおしゃべりに興じはじめた。寝床にしている臥台に腰をかけ、手元でせっせと羊毛をつむいでいる。これも見習の仕事だった。紡いだ糸で布を織り、姉さんたちや自分たちの衣服を作る。姉さんたちの衣服は洗濯屋に出して漂白したり、たまに染色することもあるが、見習はそんな贅沢できない。羊の汚れそのままに黒ずんだ衣服になる。
 ただ、ユノ以外は皆トゥニカだ。ユノだけは足にからみつくトゥニカでは踊れないからといってチュニカにしている。トゥニカでは踊れないので、姉さんたちの仕事着はトゥニカでなくストラだった。二枚の布を体の前後に当て、肩と腰を留め金(フィブラ)で留めたものだ。足を上げると太ももがすっかりあらわになる。

 ユノも糸を紡ごうと、羊毛の入った籠を臥台の下から引っ張り出した。しかしすぐには始めず、腰かけかごを膝にのせてほうと息をつく。

 ユノの気を逸らすのは、ニカレテから先ほど聞かされた話だった。
 ネックレスを贈った男たちは、ユノの最初の客になれると思い込んでいるかもしれない。そうだとしたら、デビューの当日にもめ事になる。さいわいユノは三人がどこの誰か覚えていたので、ニカレテが話をつけてくれることになったのだ。

 首飾りを預かってもらって助かったと思う。ニカレテは事を穏便にすませてくれるだろう。
 ニカレテも元は娼婦だったから頼りになる。裕福な客に買い取られ家内奴隷となり、主人の遺言によって解放奴隷となった。主人だった人の息子の後ろ盾で店を持ち、何十人もの奴隷を養っている。
 今では同じ解放奴隷のセヤヌスと幸せに暮らしている。

 ニカレテみたいな人生を歩めたらいいなとユノは思う。いい主人に見初められて目をかけてもらって奴隷身分から解放してもらい、自分と同じ境遇の子たちを養って、ユノがチャンスを与えられたようにその子たちにもチャンスをあげたい。
 ニカレテみたいな人生を歩める奴隷は一握りだ。ユノがそんなラッキーにめぐり合える可能性は限りなく低いだろう。でも見果てぬ夢とあきらめてしまっていては何事も始まらない。
 夢を夢のまま終わらせないために、まずはここで人気者になること。それがニカレテへの恩返しになる。

 決意をあらたに仕事をしようとしたそのとき、険しい声をかけられた。
「あんた、どこでお貴族様に見初められたんだい?」
 声のした戸口を見れば、ニカレテがユノを睨んでいた。

 ユノは首を横に振った。
 お貴族様なんて知らない。下町に暮らす奴隷がお近づきになれるような相手じゃない。

 首を振ったユノを見て、ニカレテは盛大なため息をついた。
「あんたに買い手がついたよ」

 ユノは目を丸くした。
「舞台に上がる前に客を取るの?」
「違う。おまえの身柄は買い取られたんだ。緋色のマント──帝国最高位の貴族階級だ」

 一拍置いて同室の女の子たちは一斉に騒いだ。
「お貴族様!? きゃー! ユノったらいつのまに!?」
「デビュー前なのにどうして!? すごい!」
 取り囲む仲間たちの中で、ユノは呆然とニカレテを見上げた。ニカレテは女の子たちをかきわけユノの腕を掴んで立たせ歩き出す。

「ねえ、もしかするとユノの本当の家族が迎えにきたのかもしれないよ?」
「えー!? じゃあユノって貴族の生まれ?」
 背後で女の子たちがさらに盛り上がった。

 どきん
 ユノの心臓が跳ねた。鼓動が早くなってくる。
 拾子奴隷なら誰もが一度は見る夢物語。捨てられたけど、いつか捨てたことを後悔して家族が迎えにきてくれるんじゃないかと。

 ニカレテは立ち止まり、振り返って怒鳴った。
「あんたたち、変な夢は見るんじゃないよ! 捨て子はいらないから捨てられたんだ。捨てたものを惜しんで捜しにくるような人間は帝国人にはいないよ。あいつらは北に連なるテュレニア山岳よりもでっかいプライドを飼ってるんだ」
 そのひとことで少女たちはしゅんとする。

 再び歩き始めたニカレテは、後ろからついてくるユノに言い聞かせた。
「ユノ、あんたも夢なんか見るんじゃないよ。あの子たちが騒いでいるような甘い話じゃない。あんたを買った男、相場の三倍の値段をふっかけても、平然と払うと言って約束手形を書いた。やけに事務的でぞっとしたよ。あれは娼婦としての目的であんたを買ったんじゃない。何かわからないけど、何か特別な目的があってあんたを買ったんだ。──法外な値段をふっかければ諦めるとばかり思ったのに。緋色のマントには逆らえない。あんたを守ってやれなくて悪かったよ」
 ユノは首を横に振った。前を歩くニカレテには見えないとわかっていたけど。
 そして、なんとか言葉を口に出した。
「ニカレテは十分よくしてくれたよ。今までありがとう」

 たくさんのテーブルと椅子が並ぶ店内に、一筋の光が入ってきていた。薄暗い店内を照らし出すその光の中に、背の高い男の人が立っている。緋色のマント──ニカレテの言った通りだった。

 ユノたちに気付いて、その人物はゆっくりと振り返った。斜光を横から浴びた姿に、ユノはぽかんと見入ってしまった。彫りの深い端正な顔立ち、整えられた黒の巻き毛、背筋を伸ばした均整の取れた体躯。神話の世界から訪れたような美しい人。

 立ち尽くしてしまったユノを、ニカレテは光の中に押し出した。
「この子で間違いないですか?」
 丁寧な口を利く。ユノはまだ呆けたまま、彫像のような青年を見つめていた。しかし彼の藍色の瞳と目が合った瞬間体が竦んだ。

 冷たい視線。

 憎悪すら感じさせるその視線が、ユノの顔に注がれる。何かを見極めようとじっと見据えてくるその目は、人の顔を見ているようには思えない。居たたまれなくなって胸元で手を握り合わせ縮こまると、青年はふいと目をそらした。
「ああ。この娘でいい」
 彼は澄んだ声音でそう言った。
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