生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

46、ユノ奪還へ

 去っていく蛮族を追わずに、カスケイオスはセリウスに駆け寄った。
「大丈夫か!?」

 セリウスはがくがくと体を震わせながら起き上がった。地面に叩きつけられ体をしたたか打っただけのようだ。骨の折れている様子はない。

 蛮族の通った道は凄惨たる有様だった。いたるところに人が転がり呻き声をあげ、ところによっては血がどす黒く広がっている。騎馬はただ突き進み、同じ道を辿って帰っていっただけだ。生贄の娘だけを戦利品に。
 ほんのわずかばかりの時間だった。神聖な儀式の雰囲気など余韻もない。

 セリウスはよろけながら歩き、座り込んで鈴を拾った。胸に抱いて下唇を噛み、うつむいた肩を震わせる。
 カスケイオスの呼びかけに、セリウスは答えなかった。

「セリウス!」
 カスケイオスは怒鳴った。
「あの娘を助けにいくぞ。これは皇帝への叛意にはならない。奪われたものを取り返しにいく防衛作戦だ。そしてそれを成しえる指揮官はセリウス、お前しかいない。身分も地位も指導力も持ったお前にしかできないんだよ!」

 セリウスは反応しない。カスケイオスは言い募った。
「お前が下層民のことを考えてくれたのは嬉しかった。だがな、自分たちを守りたかったら命を賭けなくてはならないことを下層民たちだって知っている。タウルスでは自分たちを死地に追い込むだけの指揮官たちに、軽装歩兵隊の士気は落ちて苦戦していた。だがお前は自ら彼らを守った。下層民のために命を賭けようと、そういう覚悟を示して見せたんだ。かれらはきっと自分たちのために命を賭けてくれる人物になら、死地に向かえと命令されても喜んで従うだろう。そんな忠誠を手にすることのできる者は、今の帝国ではセリウス、お前以外いないんだ!」

 カスケイオスは娘の言葉を思い出していた。娘の話を聞くまでは漠然と指導力があるとしか思っていなかった。娘はカスケイオスの感じていたことに理由をつけた。
 この言葉には力がある。
 動け、セリウス!
 祈る気持ちで見守るが、セリウスは動こうとしない。カスケイオスは焦れてセリウスに手を伸ばす。

 いきなりセリウスは動いた。
 伸ばされたカスケイオスの手を逆につかみ、それを支えに立ち上がる。

 屈んだカスケイオスを見下ろして言った。
「カスケイオス、号令を! タウルス戦役の英雄セリウス・マイウスが生贄の巫女奪還に兵を挙げる、集えと」

 カスケイオスは呆然と見上げた。
 これがさっきまで情けなく自分にすがってきていた青年だろうか。
 いいや違う。これは指揮官だ。
 圧倒的な指導力を持って帝国軍を率いるその姿は、タウルス防戦以来の雄志。

「カスケイオス!」
 再度呼びつけられ、カスケイオスは物思いから醒め、勢いよく体を起こし背筋を伸ばした。
「は!」
 命令を遂行すべく、カスケイオスは駆け出していた。
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