生け贄の踊り子は不遇の皇子に舞いを捧ぐ

49、追撃

 いつの間にか間近に迫っていた帝国軍に蛮族たちは右往左往した。
「どこから来やがった!?」
「あんなに兵がいるなんて聞いてねえ!」

 大地を埋め尽くして丘を駆け上がってくる帝国兵は数千規模、対する蛮族は百あまりだった。いくら蛮族の方が身体的能力的に上でも、数でかかられてしまっては敵わない。
「退却だ! 馬を引け!」
 浮き足立った蛮族たちは長の怒号に冷静さを取り戻し、めいめい杭から馬を解いて飛び乗った。

 帝国軍がそこへ突入してくる。
 槍を持った帝国軍歩兵隊は槍を突き上げて蛮族たちを刺し貫き、蛮族たちは馬と斧で帝国兵を蹴散らしながら退路を確保し後退していく。

 激しい戦闘の真っ只中でユノは動けずにいた。押し寄せてきた帝国兵たちはユノを取り囲んで蛮族と戦っている。動けば彼らの邪魔になるとすぐに察した。

 どうしてユノを守ってくれるのかわからない。ただ、周囲をとりまく悲鳴や苦悶の声、次々倒れる敵味方、たちこめる血なまぐさい臭い。初めて遭遇した地獄図。恐怖と吐き気に苛まれ、気を失いそうだった。
 しかしこんなところで気を失ったら、それこそ命の保証はない。

「うわあ!」
「ぎゃああ!」
 一角から同時にいくつもの悲鳴があがった。

 はっとして声のほうを見ると、帝国兵たちがある騎馬から一斉に逃げ出していた。騎馬の周りは倒れ伏す帝国兵で埋め尽くされていた。
 ユノは馬を操る男を見てぞっとする。長と呼ばれていた男だった。斧を振るって帝国兵をなぎ払いながら、まっすぐユノだけを見つめている。

 ユノを取り囲んでいた帝国兵たちも、蛮族の長に恐れをなして陣形を崩していた。一人が逃げ出すと、他の兵士たちもそのあとに続く。

 ユノも身をひるがえして逃げた。ユノを追う蛮族の強さに恐れをなした帝国兵たちはユノに道を空ける。
 背後を見ると、長はすでに目の前だった。騎馬から身を乗り出しユノに向かって手を伸ばす。

 もうダメ──!

 走りながらぎゅっと目をつむったとき、耳元かと思うくらい近くで大きな音が鳴った。
 音の衝撃によろけてユノは転んでしまう。

「ぐおっ!」
 近くで、くぐもった悲鳴があがった。
 倒れ伏した姿勢から、ユノは体をひねって背後を見上げる。

 ユノを背にして立つ人影があった。大きな赤い羽根の兜飾り(クレスト)が、昇りだした朝日に映える。逆光になってよく見えないけど、その背中に見覚えがある気がした。

 満月の光の下、振り下ろされようとした大剣からユノをかばってくれた背中と同じ。
「セリウス様!」
 セリウスは左手の盾で斧を横に逸らし、右手の槍で長のわき腹を突いていた。

 静止した状態から二人は同時に動く。長は斧を振り上げ、セリウスは槍を引き抜いて体勢を低くし斧から逃れた。
 長はわき腹を押えながら馬上で体勢を立て直すと、怯えて近寄れない帝国兵の合間を脇腹を庇いながら駆けていく。

 セリウスは血の滴る槍を天に掲げた。
「突撃ー! 今が好機だ、追い落とせ!」
 普段の武人とは思えない細い声が、今は戦場にりんと響く。兵士たちは号令におおと応え、帝国兵に背を向けて退却をはじめた蛮族たちを追いかけた。

 濁流のように敵に突き進んでいく軍の只中、セリウスとユノは川の中に鎮座する岩のようにその場を動かなかった。

 長が逃げていった方向に槍の穂を向けているセリウスを、ユノは地面にへたり込んだまま呆然と見上げる。
 兜からわずかにこぼれる黒い巻き髪、背を覆う緋色のマント。槍を掲げ伸ばされた腕は、これまで何度もユノを助けてくれてきた。

 再会できるとは思わなかった。馬上から何度も名前を叫びながら、もう二度と会えない絶望を思っていた。両の目から涙があふれ出る。
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