記憶がどうであれ

20話

 あの日から一ヶ月近く経ったある日。

「昨日は休みだったのか?」
…元主人の声。
「どうされたんですか?」
「昨日も待ってたんだけど来なかったから通勤ルートを変えたのかと焦った……会えて良かった」
 昨日も待っていた?どんな理由で?
「何か御用ですか?」
 会いたくないと伝えてもこうやって会いに来る元主人の無神経さに嫌気がさす。
「笑顔、意識してみた。 本当に話が円滑になったし、話す言葉尻を柔らかくしただけでも人との摩擦が減った…だからお礼が言いたかった」
「お礼だなんて大げさです。 それに笑顔と言ったのは天野さんです、私ではありません」
「どうして、君と結婚したのかなんとなく解った気がした」
「え?」
「前回君に会った日からずっと君の事を考えていた…君の澄んだ瞳を忘れられなかった…」
「何を言っているんです?」
 記憶を無くしてすぐに離婚しようといった相手に向かって。
 しかも睨むように見ていたはずなのに澄んだ瞳だなんて…どうかしている。
「自分でも解らないんだ」
「私は貴方とは関わりたくないんです」
「俺は、君の事が知りたいと思っている」
「やめてください…私はもう絆されない」
 ハイスペック彼氏だなんて言葉に憧れる性質じゃなかったはずの私が元主人のようなハイスペックな人と結婚したのは愛に飢えていたから。
 結婚相手としての好条件以上に私にとっては元主人から受ける愛情が一番大切だった…
 でも、結局それは私を心から愛してくれる相手なら元主人でなくても良かったのだ。
 そして結婚したことを後悔し今後二度と結婚したくないとまで思っている。
 私の憧れた愛ある家庭は二度と手に出来ないのだろう。
「君はどうしてそんなにとんがって生きているんだ?」
「とんがらなければならない理由があるとは考えませんか?」
 元主人は考え込んで、
「一人で強がって生きていく気か? 一度は結婚したんだ、誰かと一緒に生きていくことを考えているんだろう?」
と言った。
「…それを考えさせなくしたのは貴方なの。私は結婚する気はないし、今はパートナーも必要とは思っていない」
「俺は君ともっと会いたいと思う」
「こんなに嫌な態度の女に言い寄るなんて趣味が悪いです」
 私なら絶対にこんな女避ける。
「確かに君からは俺への嫌悪感が伝わってくるけど…」
「私、貴方と別れてから好きになった人がいます…貴方よりずっと…
だから私が貴方との結婚生活に未練があると勘違いされているならそんな事は無いんです。
迷惑だと気づいてください」
 離婚する時の私の態度を見て、未練があると勘違いする人は居ないと思うけれど。
「付き合ってるのか?」
「いえ…」
「告白は?」
「…お付き合いしてましたけど」
「別れた?」
 頷くと、元主人は満足そうに、
「じゃあ遠慮しない」
と言った。
 まるで人生を繰り返しているみたい。
 結婚前の元主人もこんな風に私に言い寄ってきたのだから…
「本当にヤメテ」
 睨みつけてしまう。
「貴方がエリート志向の女性に嫌悪感を抱くように、私も貴方のような傲慢な人間は好きではないんです」
 元主人はジッと私を見つめる。
「自分に靡かない女を落とすことが好きなんですか? 私は貴方に会いたくないと言いました、なのに人の迷惑も考えずに会いに来る貴方に私が興味を持つと思ってるんですか?」
「結婚までしていたんだ、些細なきっかけで気持ちが戻ってもおかしくない」
 自分の事を言っているのだろうか。
 記憶を無くした時には興味の一つも持てなかった私に今さら興味を持ったのだから、と。
「離婚を経験した他の方に聞いてみたらどうです? もう顔も見たくないと思って離婚した方が多いと思いますよ?」
 私は元主人と話をしていると嫌な人間になってしまう。
 自分が元主人との結婚を決めたのに、全て自己責任で歩んできたはずの人生なのに、元主人の事を考えると全て元主人と出会わなければとか、結婚しなければと考えてしまうのだ。
 元主人の所為で私は幸せになれないのではないかと…そう考えてしまう。
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