記憶がどうであれ

22話

 朝起きて、出勤して、パートのお姉さま達と少し雑談をする時間があって、帰宅して…
 毎日同じことの繰り返し。
 ここ最近、元主人は顔を出さなくなった。
 その事について、寂しいとは全く思わずに良かった、と心から思っている。
 一人ぼっち…寂しいと感じることは多々ある。 でも、私はもう恋愛に逃げ込まない。そう誓っている。

「ラーメン食べたいな~」
 人気のラーメン屋さんに並ぶ人を見ながら呟く。今日は人が凄く少ない…並んでみたいけど…
 お一人様で生きて行くと思っているのに、外食を一人ではなかなかできない私。
「食べに行こうよ」
「うわっっ!!!」
 驚いて振り向くと元主人。
「あそこのラーメンて人気?」
「人気店です。今日はどうされたんですか?」
「美味しいんだろ? 行こうよ」
「結構です」
「行こうよ」
 その時私のお腹がグ~と鳴った。

 どうして元主人と人気のラーメン店に並んでいるのか。
 元主人とは外食をよくした。 元主人が営業ということもあって話題のお店をチェックして話しのとっかかりを探すのだ。
 それはかしこまったお店ばかりでは無く、気軽に入れるお店の時もあれば安いが売りのお店の時もあった。
 もう凄く前の事の様に思える…
「何がオススメ?」
 もうすぐ店内に案内される番になり貼りだされているメニューを見ながら元主人が訊く。
「…さぁ?」
「どれが好き?」
「…えっと…私はオーソドックスなのにします」
 初めてのお店だから。
 このお店は私の職場の最寄り駅の近くだけど、元主人と住んでいた家からは遠い。
「結婚してた時はこんな風に一緒に並んだりした?」
「ええ…」
「そうか。 俺、一人で外食って苦手でさ。昼食抜く事もよくある。 だからきっと君と一緒に行ってたんだろうって思った」
 不思議なものだ。結婚している時は元主人が外食に誘ってくれるのは私も働いているから気遣ってくれていると思っていた。 だけど、元主人も一人での外食が苦手だったのか。
「そうなんですか。私はそんなこと知りませんでした」
「…本当に何も知らないんだな」
「はい」
 店内ではカウンターにそれぞれ座り、無言で食べ別々に店を出た。
 これはお一人様と同じ行動だ。そうか、私が思っている以上にお一人様のハードルは低いのか。
 ラーメンが美味しかったから、また食べに来ようと思った。
 私が歩き出すと元主人がついて来る。
 そう言えば、どうしてここに来たのだろう。
「ついてこないでください。今日は何かあったんですか?」
「仕事、うまくいってきてる」
「はぁそうですか」
「会社の子から誘われる事もある」
 それは彼女以外だろうか?
「そうですか、良かったですね」
「よく分からないんだ」
 元主人の顔を見上げた。 私に何を言って欲しいのだろう。
 元主人の求める言葉を伝える事は私がしなければいけない事だろうか? 私にとって元主人が何に悩もうが関係ない。
「用事は無いって事でいいですね。なら、これで」
「待ってくれ!」
 そんなに必死な声を出さないで欲しい。周りの人の視線が痛い。
「…私達ってどんな関係ですか? 話しをしなければならない関係じゃないですよね?
離婚はきちんとしています。慰謝料の請求もしていません。私と話しをしたいという一方的な言い分が通るんですか?」
「慰謝料…そう! 慰謝料! 君に俺は何もせずに離婚してしまったから…」
 今さら何を言ってくるのか。
「家財道具一式を頂きました、あれだって結構な金額になりますよ。 お金なんて要りません。
私は結婚前からの職場で働いていますので一人で生活するのに困っていません」
「でも、君は急に住むところを探したり大変だったんだろ?」
「…今ですか? それは離婚すると決まった時に心配していただきたかったですね」
「そうだけど…ごめん」
「いいんです。私、結婚したこと自体を凄く後悔しました。
記憶を無くした貴方に少しも興味を持たれなかったんです、そう思って当然でしょう?
貴方が私を必要だと言ったのに、それは嘘だった…
私、相手からの好意だけを信じて恋愛するのは違ったなって後悔したんです」
「それは今の俺がどんなに好意を伝えてもこちらに興味を持つことが無いと?」
「解っていただけて嬉しいです。 私は貴方の事、タイプじゃないんです。というか苦手なタイプです」
「でも、結婚してた」
「だから?」
「人の気持ちは変わる」
「その話、前にもしましたよね。 ハッキリ言います。貴方に好意を持つことはありません。
誰かと共に生きたいと思った時、その相手は絶対に貴方じゃ無い」
 私はきっと誰かと共に生きたいと思える日がきたら、それは男女の愛情だけではなく、家族愛が欲しいと思った時。
 相手の家族とも仲良くしたいし、子供を授かる日が来たら親子で仲良くしたい。
 今はそんな未来を考えてはいないけれど…
「貴方は会社で女性から声がかかっているんですよね。そちらの方とどうぞお幸せに」
「だから解らないと言っただろう? 全然嬉しくなかった…媚びる視線、甘えた声。こんな女と付き合うなんて無理だと思った。そして俺が求める人はこんな女じゃ無いと強く感じた…やっぱり君の顔が浮かんできた」
「不思議な人ですね。 私の事なんて何も知らないくせに」
「…知りたいんだ」
「それを記憶を無くした時すぐに言ってくれていれば…私達別れていなかったんじゃないですか?
でも貴方はそう言わなかった。 それが全てです。
今さら自分の都合で私を振り回すのはやめてください」
「君の強い眼差しにどうしても惹かれた…君を好きなんだ」
 俯きながら言う元主人。
 好きだなんて笑わせる。
「私は嫌いです。 彼の方がずっと好き…」
「別れたって言う彼の事?」
「はい…彼女の…天野さんの元旦那さんです」
「天野の!?」
「ご存知ですか? 天野さんの元旦那さん」
「いや、天野が結婚した頃転勤でこちらにいなかったから連絡を取って居なかった」
「とても整った顔をした優しい人です。一途で…可哀想な程一途な人」
「一途な人というわりに別れているなんて可笑しい」
「そうですね…色々あるんですよ」
「天野と俺が付き合ってるのか訊いた事があっただろ? 何か関係が?」
「いえ、何も…」
 彼の彼女への想いを勝手に話すべきでは無い。
「世間は狭いんだな」
「そうですね…」
 彼と私の始まりが偶然ならそうなのだろう。
 でも、彼は目の前にいる元主人への復讐の為に私に近づいた。
 …今なら、彼の復讐を叶えることができる。
 だって、元主人は私を好きだと言っているから。
 私のハメ撮り映像を見せたら傷つけることが出来る。
 …でもそれは無理な話し。
 彼と私はもう連絡を取り合っていないし、記憶を無くした元主人に私の身体を見せるなんて絶対に嫌だから。
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