記憶がどうであれ

31話

「そうだ。 これ…めぐちゃんに渡そうと思ってたんだ」
 スッと目の前に出されたのは不思議の国のアリス柄のブックカバー。
 古い洋書の様なデザイン。赤茶の革に金色でプリントされている私好みの品。
「素敵…」
「俺の本にピッタリサイズ」
「でも…」
 貰えない。 そう言おうと思った。
「めぐちゃんの為に買ったんだ。 自分じゃ使えないよ」
 虹川くんは苦笑しながら、
「めぐちゃんが変わってないんだって思って嬉しかった…浮かれて出先で見つけたこれを即買いしちゃってさ。 なかなか会えなかったから渡せなかったけど、友達としてこの位の物なら受け取ってくれてもいいんじゃないかな?」
と言った。
 これ位というのは値段の事だろうか…確かにそう高額な物ではないのだろう。
 だけど、交際を申し込まれて断った相手から何かを受け取る事に抵抗がある。
 これが彼氏からのプレゼントだったら素直にお礼を言うだろうけど。
「虹川くん。 私が恋人でも無い人から素直に物を受け取ると思う?」
 そう言うと虹川くんは肩をすくめ「そうか」と頷いた。
「だから、代金払うね」
 私が言うと虹川くんはとても悲しそうな顔をした。
 付き合っていた時に、虹川くんから貰った栞を今でも持っているよ。存在を忘れていた時期もあったけれど、それを見た瞬間虹川くんとの思い出が溢れてきたよ。
 そう伝えたら虹川くんは喜ぶのだろうか…でも、それを今言うのは違うと自分自身でブレーキをかける。

 虹川くんにブックカバーの代金を支払い私は真っ直ぐに虹川くんを見つめる。
「虹川くんが私を思って選んでくれた事、嬉しかった。 でも、虹川くんが私を友達と思えないなら…もう会えないから…」
 さようなら。と言いづらいのは何故なのか。
 きっと、虹川くんという優しい存在は私を癒してくれると直感で解っているから。
 狡い生き方をするのなら、この人と共に生きれば自分が楽だと知っているから…
 でも私は他人に依存した生き方は卒業したのだ。
「虹川くんが作家さんとして成功することを祈ってる。 陰ながら応援してるから」
「ありがとう…」
 虹川くんの目は輝きを持っていた。 でもそれは生き生きとしたという意味ではなく、涙を堪えていると簡単に想像できるもの。
 虹川くんにとって私という存在はきっと特別だったのだろう。
 それは私にとってもそうだった。
 初めての相手、全てにおいてそうだったから…
 だけど、根本的に私達は違っていた。
 離れる事が正しい運命だったのに、運命のいたずらで再び出会ってしまった。
 けれど、もしかしたらこの再会は虹川くんが私を吹っ切る為に必要だったのかもしれない。
 虹川くんが私と別れてから誰ともお付き合いしていないとは思わない。
 だけどどこかで私を求めていたのだとしたら、それはいつか吹っ切らなければならない想い。
 虹川くんがどうか一番好きだと想える人と出会えます様に…


 それから数日後に彼から連絡があった。
 それまで、「会いたい」と連絡があればすぐに「待ち合わせはどこにしますか?」と返事していたけれど今日はそれができない。
 虹川くんに言われた言葉は少なからず私の気持ちを動かしている。
 こんな関係を続けているなんて私らくし無い…自分自身でもそれは解っている。
 既読がついても返事が来ないことに業を煮やしたのか彼からの着信。
「もしもし」
「何か予定あるの?」
「ん~…無いんですけど、そういう気分じゃないんですよね」
「そう。 じゃあ食事は?」
「え?」
「食事を一緒にしない?」
「食事…だけ?」
「一人で外食って寂しいからさ」
「お一人様でも入りやすいお店教えましょうか?」
 私はお一人様街道まっしぐらだ。
「そうだな~…和食の家庭料理っぽいメニューがあるお店がいいな」
「小料理屋さんみたいな感じですか? さすがにそういうお店は知らないですね。 すみません、役に立たなくて」
 虹川くんと最後に行ったお店は感じの良いお店だったけれど、和食では無いし。
「作ってくれる?」
「はい?」
「材料費出すから作ってよ」
「嫌です。今日はコンビニ弁当の予定なんです。 自分の為に作らないのに貴方の為になんて作りませんよ」
「だよな。冗談だよ。 じゃあまた連絡する」
 そう言って電話は切れた。
 また…か。  また連絡が来た時私はバカみたいに会ってしまうのだろうか。
 こんな関係を続けていることが彼への復讐になっているのだろうか。
 私自身が傷ついているとは思っていないけれど、無駄な時間を過ごしているだけなのかもしれない。
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