記憶がどうであれ
復讐ではなく

32話

 おひとりさまでの外食を続けている私。
 今ではカフェだけでは無くラーメン屋まで一人で行けるようになった。
 今日は初めてのお店を開拓したくてブラブラと歩いている。
「あっ」
 大きな声が聞こえてきて私はそちらをチラリと見た。
 驚いた。
 そこには大きく目を見開いた元主人。
 声を聞いても元主人だなんて気づきもしなかった。
 私という人間はつくづく薄情だ。
 何事もなかったように私は前を向いて歩き続ける。
 すると、
「待ってくれっ」
と声をかけられた。
 …きっと元主人だろう。
 渋々振り向くと元主人はほっそりとしきつそうな目元をした女性の手を握っていた。
 幸せを見つけたんだ。 咄嗟にそう思った。
「こんにちは」
 私は元主人に挨拶をした。
「俺、この人と付き合ってる」
 そう言われても何も感じなかった。
「そうですか」
「大切にしたいと思ってる…」
 私にそんな事を言って何になるのか。
「そうですか」
「親から紹介された人なんだ」
 驚いて思わず元主人を凝視してしまった…
「そうですか…」
 それしか言えない。
 元主人があんなにまで毛嫌いしていたご両親の紹介で女性と何故お付き合いすることになったのか。
 きっと紹介と言っても簡単なものではなくお見合いということだろう。
 だとしたら、結婚を視野に入れているということ。
 不思議だ。 私と結婚していた時はご両親の意見なんてまるで無視を決め込んでいたのに。
 何か心境の変化があったのだろう。
 自分に自信のあるタイプが苦手だと元主人は言っていた。 目の前の女性はそういった人に見えるけれどこの人と結婚しようと思っているのだろう。
「いずれ両親との同居を検討してる」
「え?」
「母親の部下なんだ。 母親に気に入られて俺を紹介されたんだ」
 母親のお気に入りと結婚を前提に付き合っている?…前の元主人では考えられない行動だ。
「お母さんが気に入った方を気に入られたんですね。 やっぱり親子ですね」
 こんな事を言ったのは嫌味でしかない。 私は本当に嫌な女になってしまった。
 ご両親に気に入られた人と穏やかな結婚生活を送りたいなら初めから反対された私なんかと結婚せずにこういう女性と結婚すれば良かったじゃない。
「違います。 哲也さんは私を気に入っている訳ではありません。 別れた奥様に心を残しています」
「はぃ?」
 この女性は何を言っているの?
「それでも良かったら付き合って欲しい。付き合ってくれれば大切にすると言われましたから」
 元主人はそんな事をこの女性に話したの?
 どこが大切にしたいと思っている行動なのだろう。
「私が誰だか知っていらっしゃるんですね」
「はい」
「でも私はもう関係ない人間です。 お二人で幸せになってください」
 頭を下げる。 何故私が頭を下げなければいけないのか…変な感じ。
「哲也さんは素敵な人です。 どうして復縁されなかったんですか?」
「私は…離婚した時後悔しました。結婚したことをです。 なので復縁したいだなんて考えられませんでした」
「お母様との仲が悪かったようですがそれが理由ですか?」
「義母だけでなく義父にも煙たがられていました。 でもそれは関係ありません」
「哲也さんの事は本当にもういいんですか?」
「離婚した時点で他人になっています」
「本当に後悔されませんか?」
 今さら何を。
 後悔なんてする訳が無い。
「…もしも記憶が戻って、今度は今の記憶が無くなっても貴女はこの人と一緒に過ごしたいと思いますか?」
 私と結婚していた時を思い出し、この女性を大切にしたいと言った元主人の記憶が無くなっても結婚生活を続けることができるのだろうか。
 記憶が戻る可能性は0ではないのだろう。
 その時に今の記憶がどうなるのかは解らない。
「私は愛や恋だけでお付き合いを考えている訳ではありません。 もう二十代後半なので結婚を考えています。義理の両親との仲が良ければそれに越した事はないと思っています。
何かあればきっとお母様は私を支えてくださいます。 なので、私はずっと哲也さんと過ごしたいと思います」
 愛や恋だけでは無い。 私もこの女性の様な賢さがあれば良かった。
 愛されたから結婚しようなんて思わずに、幸せな家族を作れる相手を求めるべきだった。
 実の両親とは疎遠なのだから、せめて義理のご両親には可愛がられたかった…
「その意志があるのなら幸せになれますね。 私は忘れたい存在なのだと突きつけられた様に感じました」
「今の哲也さんが貴女を思っていても?」
「忘れられたあの時の記憶は消せませんし、結婚したことを後悔ばかりしているのに復縁なんてする訳がないんです。 全然私のタイプじゃないんですから」
「え?」
「全然好きなタイプじゃないんです」
 私が清々しく言うと元主人は、
「解ってるから。 もういいだろ? 俺はこの人と再婚すると思う。ただそれを伝えたかっただけだ」
 と言い捨て女性の手を引き歩いて行った。
 きっと、元主人はあの女性を愛することは無いのだろう。
 あれだけ自信家だったのに、自分が苦手とするタイプと結婚するなんて…それが私に対する償いだとでも思ったのだろうか。
 それとも一度目の結婚で逆らってしまったご両親への謝罪の気持ちなのだろうか。
 最後の元主人の表情はとても幸せな人には見えなかった。
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