記憶がどうであれ

34話

 二階建のアパートの二階。 五つある扉の真ん中が私の部屋。
 エレベーターなんて無い外にある階段。 だけど通路は少し広めでコンクリートのしっかりとした作り。
 セキュリティという意味では決して万全では無いけれど、身の丈に合った家賃でカメラ付きのドアホンというだけでも合格だと即決した物件。

 私は二階側からジッと階段を見下ろす。
 このまま転げ落ちれば記憶がなくなるのだろうか…階段に一歩近づきバッグを床に置く。
 …こんな事を考える自分は精神がおかしくなってしまっている。
 そんなに都合よく忘れたい記憶だけ忘れられるはずが無い。
 それに、大けがする可能性だってある。そんなことになったらこのアパートの住人の方々に迷惑がかかってしまう。 解っているのだ。人生が思い通りになんていかない事は。

「おいっ!!!」
 階下から聞こえる声。
 そちらへ目を向けると彼が焦った顔で階段を駆け上がってきた。
「何してる!!!」
 腕を引かれ抱きしめられる。
「どうして?」
 何故居るの?
「俺にまた諦めろと言うのか…」
 呟く力無い声。
 諦める?
 私はセフレ。 他の人に相手を頼めばいいだけ。
 そうでしょ?
「ぼうっとしていただけです。 何ですか?」
「床に鞄を置いて!? まるで落ちようとしている様に見えた」
 っ!? 驚いた。私の心の中を覗かれたみたい。
「どうしたんだ? そんなに元旦那に新しい相手ができた事が悲しかったのか?」
 え? 私はキョトンだ。
 何を言っているの?
「何がです?」
「元旦那が結婚する相手と一緒だったんだろ? 絶望したのか」
「だからなんで私にそんな事訊くんですか?」
「いや…やっぱり元旦那を好きだと思う気持ちがあるから、俺との関係を清算したいのかと…」
「馬鹿にしないでください。離婚した人に未練なんてありません! 前にも言ってますよね!?」
「…そっくりそのまま返すよ。 俺だって離婚した人にもう未練は無いと言っただろ、馬鹿にしないで欲しい」
「未練たらたらだったくせに」
 私が言うと彼は、声を上げて笑った。
「未練がましいのは性格なんだ。だけど、一度に二人未練を持つほど器用じゃ無い」
 今は誰に未練を持っていると言いたいの?
「…話しをさせて欲しい」
 私を抱きしめている腕に力が入った。
「もう二度と会わないと決めたばかりなのに…」

 結局部屋に上げた。
 このまま黙って帰ってくれそうにはなかったから。

「セフレは終わりです。私からはそれだけです」
「セフレは終わり。同意する」
「なら、他に何が言いたいんですか?」
「君と離れる気は無い」
 何を言っているのだろう。
「セフレでは無く、君を抱き続けたい」
 全然意味が解らない。

「俺は…君を脅してでも離れない」
「脅すって、何で脅すんです?」
 そう言ってスッと出したのはビデオカメラ。
「ビデオ?」
「君と撮った映像が残ってる」
 何を言っているの?
「知ってたか? コレってSDが無くても本体に録画されるって」
「え…?」
「だからあの日の君との行為はコレに残ってる」
「嘘…そんな事一言も言ったことないじゃない!!!」
「君に嫌われて離れると解っていたからだよ」
 ビデオカメラを手にして再生をしてみる。
 私の手は少し震えている。

  ほらこっちはもうヌルヌルだ
 彼の声と…
 バタンッと私はビデオカメラを閉じ再生を止めた。
「何これ…」
 パニックになりかけたけれど私は一度深呼吸して冷静になる。
「消します」
 ビデオのデータの消去の仕方が解らなくてあちこち押してみる。
「コピーあるよ」
 さも当然という彼の顔。
「何がしたいんですか? 元主人へ復讐はしないんですよね?ならなんの為に…私を脅すためにとってあったとでも言うんですか!?」
 涙が出てきてしまう。
 自分の軽はずみな行動が招いた事だけど、あの時私はハメ撮りをよしとはしなかった。
 雰囲気だけだと言われて信じたのに。
「思い出が欲しかったんだ。
あの時は決してこんな風に脅しの材料にするつもりなんて無かった」
 そうだと信じたい。だけど今現在脅しているじゃない!






━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


実はこの話し、記憶を無くし忘れられた妻という事だけではなく、ビデオカメラのくだりを書きたくて執筆を始めました。
ビデオカメラの設定を間違って本体録画になっていたのに、SD再生しても録画されていないと慌てた経験をした時に、「これってSD無くても録画できるんだ。知らなかった」となった時に思いつきました。
↑以前のビデオはテープが無いと録画できない古い機種だったんです(笑)
< 34 / 41 >

この作品をシェア

pagetop