その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
「謝られても困りますけどね。お気遣いありがとう。使わなくて大丈夫ですよ」

 フレッドがそう言って、彼女の手に触れないようにハンカチを返す。あれだけ不機嫌そうだった割に染みには頓着していないようで、首を傾げたときだった。

「フレッド、お変わりなくて? いつの間にこんな綺麗なご令嬢と婚約していたの」
「ア……オーレル夫人」

 フレッドが、常に浮き名を流している有名な夫人がこちらに来るのに合わせて足を踏み出す。夫であるオーレル侯爵にも愛人がいることは公然の秘密である。これまで社交場には最小限しか出席しなかったオリヴィアも、彼女のことは耳にしていた。オリヴィアは一歩下がった。

 オーレル夫人は彼女より六歳年上のはずなのに、そうと感じさせないほど可愛らしい顔立ちをしている。

 けれどまるで自分に何も言わずに婚約したことをなじるような言い方は棘のように胸に刺さった。彼が他の女性とどのような関係にあろうと、自分には関係ないことだというのに。

「ご報告が遅くなり申し訳ありません。婚約者のオリヴィアです」
「オリヴィア・フリークスです。初めまして」
「こんにちは、氷のオリヴィア様。……フレッドったら、他人行儀な言い方はよしてくださいな。いつものようにアイリーンとお呼びになって」

 フレッドはかすかに眉をひそめたが、すぐに何を考えているのかわからない笑みでそれを打ち消した。アイリーンがオリヴィアに向かって意味ありげな視線を寄越す。

「フレッドからのダンスの誘いをお受けしても良いかしら?」

 さきほどから、オリヴィアの呼称を持ち出されたり、二人の仲を見せつけられてもやもやする。しかも、フレッドではなく彼女に尋ねるなんて、試されているような気がしてしまう。オリヴィアはつとめてにこやかに頷いた。

「もちろんです、どうぞ」
「では少し離れますよ。……アイリーン、行こうか」

 踊り始めた二人の姿が、胸にちくりと刺さる。ついに見ていられなくなって、オリヴィアは軽い飲食の用意がされている続きの間に足を向けた。

 怖い思いをしたり、恥ずかしい思いをしたり、とどめは苛立ちにも似た気持ちを抱えるはめになり、さんざんな一日だ。

 しかも、周りの令嬢たちはこちらを見ては何やらひそひそとささやいている。きっとろくなことは言われていないだろう。 

 自分はこれから妻としてこういう視線にさらされながら、彼の周りの女性とも上手く付き合わなければならないのかと思うと、気が塞ぐのをどうすることもできなかった。
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