その身体に触れたら、負け ~いじわる貴公子は一途な婚約者~ *10/26番外編
 もしかして、今日の装いがおかしいのだろうか。それとも気づかないうちに、不愉快にさせるようなことをしてしまったのかもしれない。
 そう悩むうちにフレッドが先に視線を逸らす。これもそれまでにないことだった。

 なにを怒らせてしまったのだろう。
 先日のお詫びとお礼は迎えのときにも伝えたけれど、不充分だったのかもしれない。それともお礼にと渡した刺繍入りのハンカチが不興を買ったのかもしれない。
 考えれば考えるほど心が重く沈み、オリヴィアはたまらずステップを踏むつま先に目を落とした。

「ハンカチをありがとう。うちの紋章は複雑だったんじゃないかな」

 アルバーンの紋章は中央の盾とその両脇に鷲《わし》が盾を押しいただくように羽根を広げたもので、複雑な色合いと精緻な絵柄を刺繍で再現するのは骨の折れることだった。オリヴィアは彼のリードに合わせて足を踏み出しながら、苦笑した。

「目を皿にして針を刺しました」
「見事だったよ。刺繍は得意?」
「得意というか、母が亡くなってからは家の物に刺繍をするのは全て私の仕事になりましたから、慣れているだけです。でもどれだけしても、針に糸を通すのは大の苦手で、……通ったと思ったらするりと針から抜けてしまうの。きっと私、糸を通すときは獲物を狙う豹のような目つきになっていると思いますわ」

 フレッドが噴きだした。

「見てみたいな。あなたが豹の目をしているところ」
「きっと恐れをなして逃げてしまいますわ。もしくは凍りついてしまうかも」
「『氷の瞳』は刺繍のときの目つきのことだったか。愛嬌があっていいね」

 フレッドが愉快そうに笑うと、沈んでいた心がいとも簡単に浮上する。それにあまり歓迎しない呼称さえ、大したことのないものに思えてくるから不思議だ。オリヴィアも一緒になって笑うと、彼がふと目を細めた。

「何かあった? 目が赤い」

 彼の重心がオリヴィアに向かって傾くのが伝わる。引き寄せられるように彼女もフレッドの方に身を預けかけ、反射的に目を見開いた。
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