国王陛下の庇護欲を煽ったら、愛され王妃になりました
1.わたしのすべて

 夏を待ちわびた森に、しっとりと緑が染み渡っている。

 昨夜、少しの雨が降ったらしい。指で弾いた花弁が、濡れた香りを飛散させる。その眩しさに目を閉じて、ノエリアは形の良い唇を綻ばせる。

「いい香り。ねぇ、ハギー」

 ノエリアのうしろをちょこちょことついてきていたのは、白猫のハギー。雄である。飼っているというか屋敷に住み着いている白猫だ。まるで人間の言葉を理解しているように賢く、ノエリアが森へ野草を摘みにいくときには必ずついてくる。鼻を近付けて、花の香りを嗅ぐようにしたハギーの鼻先に滴がついていた。指で拭ってやると、目を細めた。

「そろそろ戻りましょうか」

 ノエリアは、外の作業をするときのためのエプロンの紐を結び直した。スカートの裾に付いた葉っぱを払う。

 ノエリア・ヒルヴェラ。
 髪は太陽の光を吸い込んだように金色に輝き、茶色の瞳は、ここドラザーヌ王国では珍しいのだが、隣国から嫁いできた母譲り。
 母カチェリーナは、ノエリアを産んだあと体調を崩し、よちよち歩きの彼女を残して亡くなった。
 母の温もりを知らずに育ったけれど、父と兄、屋敷の者たちが心温かい人たちばかりだったから、歪まずに成長できたのだとノエリアは感謝している。だから、自分は皆のために働くのだ。

(帰ったら、まずマリエと朝食の準備。お兄様の薬を用意して……あと、窓の修理も。やることはいっぱいある)

 ノエリアは、野草を摘んだ籠を抱え直し、屋敷へと戻る道を歩き出した。ハギーもついてくる。彼が人間なら、荷物を持って欲しいなと思うノエリアだった。

 冬が来る前に、食料を確保し保存加工しなければならない。食用の野草は乾燥させ、食べるときは水で戻して調理する。塩漬けにするものも分ける。

(薬草類は敷地内の畑で採取が可能だけれど、毎日薬草だけも良くないし、それだけでお腹いっぱいは食べられない。売る分も確保しないといけないのに)

 自分がひもじい思いをするのは別にいい。兄のヴィリヨは生まれつき病弱で、きちんと栄養を摂らないとならない。血の繋がった兄妹ではあるけれど、ヴィリヨと違い、ノエリアは健康で体力があった。

 代わってやりたいと思うこともある。五年前、父サンポが亡くなり、ヒルヴェラ家を継いだヴィリヨだったが、小さいころから季節の変わり目には体調を崩し寝込むことが増える。これではヒルヴェラ家再興の願いは叶えられそうにない。兄が多忙になるような仕事はいまのところ無いのだが。

 なぜ、忙しくないのか。ひもじいのか。ヒルヴェラ家は、貧乏貴族だった。


 山奥にぽつりと建つ屋敷は、大きいが、壁がところどころ剥がれ、窓枠も錆びている。そして、世間では「幽霊屋敷」と噂されている。世間といっても、お隣の屋敷まで山を二つ越えなければならないが。麓の村までは往復で山奥とはいえ高い場所に建っている屋敷なので、庭の木々を手入れする人員とお金が無いだけで、木々をしっかり刈り込み手入れをすれば遠くまで見渡せるはずだった。

 自然の中で暮らしたいという先代ヒルヴェラ伯爵が別荘として建てた屋敷であるが、その栄光は目を閉じて深呼吸しながらでないと思い出せない。広い領地を持ち、農林業で大きな富を持っていた。少し前までは。

 相次ぐ事業縮小で、いまはみる影も無く、影だけではなくお金も無い。屋敷の剥がれた壁を直せない。王都まで走らせる馬車を引く馬もいない。馬車を引く馬を置いたとしても食べさせる餌がない。馬車はあるにはあるけれど、長らく外に放置状態で蔦に絡められ地面と同化しそう。月に1度、近くの村に買い出しに出るが、徒歩で一日がかりだった。

 そんな生活でも悲壮感を漂わせないノエリアは、小さな幸せを見つけて生きてきた。貧乏を悲しんでも仕方がない。明るく笑っていたい。貧乏を嘆き続けた父を見て育ったせいか、そう思っていた。


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