翌日、珍しくルドモンドは午前中から出掛けて行った。おそらく昨晩言っていた、借金の当てとやらを訪ねるのだろう。

お姉さまは貴族の奥方の常、昼過ぎまで寝台の住人だ。私としては朝食を準備せずに済むので大助かりだ。

「でもね、寝てるだけのお姉さまは朝食なしでもいいよ。けど私は流石にへろへろよ。あーあ、お腹減ったぁ」

私は畑仕事を終えたところ。空腹もさることながら、中腰での作業が続くと腰にくる。

ぶつくさ文句を垂れながら、畑っぷちに腰掛けて、ちょっと休憩。

空を仰げば、雲ひとつない晴天が広がっていた。

それにしたって伯爵邸の裏庭に家庭菜園を造る日が来ようなんて、お父さまが存命中には想像すらしなかった。

私は大きく溜息を吐き出した。

「……ねぇお父さま、ちょっと逝くのが早かったよ」

お陰でお姉さまは、あんなに素敵な許嫁のレナードさまを袖にして、賭博狂いのルドモンドと結婚した。

せめてお姉さまとレナードさまの結婚を見届けてから逝って欲しかったよ。

私はまたひとつ、特大の溜息を吐いた。

「おーい、シンシア!」

「わっ! エレン!?」

ガサガサと生垣を割って現れたのは、うちの領地で園芸用品店を営む大店の一人娘だ。

私が家庭菜園を始めるにあたって、農業用具や苗を購入させてもらったのが切欠。あれから四年、エレンとはずっと親友だ。

けれどその四年の間に様相は目まぐるしく変わり、今では領民であるエレンの方が余程に裕福だ。

モードン伯爵領は田舎だけれど、普通に暮らしていれば領地収入だけで十分暮らしていける。

それがルドモンドの普通じゃない暮らしのせいで……ダメだ。これは考えても不毛なだけだ。

「もうエレン、心臓に悪いから表から訪ねてよ」

以前のエレンは玄関から訪ねてくれていた。

伯爵家とはいえ、片田舎。平民の訪問だからと、目くじらを立てる事はない。

私の心臓の為にもぜひ、玄関からの来訪をお願いしたい。

「そうは言うけどさ、伯爵に行き会うと摘み出されちゃうしなぁ」

!!

けれどエレンはヒョイと肩を竦めて、予想外の台詞を告げた。

「摘み出す!? いつ!? ルドモンドがそんな事をしたの!?」

初耳だった。

エレンは私の隣に腰を下ろすと、ちょっと困った顔でポリポリと頭を掻いた。

「……ん、もう一年も前になるかな。実はうちの親父のところに金の無心に来てさ。親父が断って以来、あたしも、うちの店もずっと目の敵にされてんだ」

「っ、ごめん! ごめんエレン!!」

ルドモンドがまさか領民に金の無心をしているなんて、あげくの嫌がらせなど、まともな神経とは思えない。

けれどルドモンドがしたと聞けば、疑う余地などなかった。

青褪めて頭を下げる私に、エレンは慌てた。

「やめてよシンシア! 伯爵のした事をシンシアに謝って欲しいだなんて思ってないよ! それにうちの親父は商魂逞しいんだ。ちょっとやそっとの嫌がらせじゃ、うちは揺らがない!!」

エレンが晴れやかに笑う。エレンの優しさに、胸が詰まった。

「だからシンシア、この件はもう言いっこなしだ」

「……エレン。ごめんね、それからありがとう!」

エレンが微笑んで私の肩を抱き締める。

その時に、エレンの艶やかな金髪が私の頬を擽った。

わっ! 

サラリと頬を撫でるエレンの金髪は、溜息が出るほど綺麗だった。

「なぁシンシア、あたしずっと思ってた。シンシアが犠牲になる必要なんてない。なんだって姉夫婦の元で召し使いみたいな暮らしに甘んじてるんだよ?」

これまでシンシアは私の暮らし向きに対して直接問う事をしなかった。

シンシアと会う時はいつも、たわいのないおしゃべりで笑い合い、楽しい時間を過ごしていた。

とはいえ、伯爵家の娘が苗を買いに行ったのが出会い。そうなれば当然、我が家の困窮を知らない訳がなかった。

「私には行く所がないもの。この赤毛じゃ、お嫁に欲しがる奇特な貴族はいないよ。何より今となっては持参金すら無しだもん」

ここに暮らす以外の選択肢が、私には無い。

「あたしに貴族の持参金の事情はわかんないけどさ、シンシアは物凄い美人だぞ? 赤毛ってだけで、そんなに駄目なものか?」

平民においては、赤毛を忌避する感覚は薄い。単に好みの問題として、エレンのような薄い金髪がもてはやされる。赤毛というだけで結婚に困るなんて話はない。

しかし貴族社会において、赤毛への偏見は根強い。

貴族と平民、身分を跨いでの結婚は教会が認めない。私は名前ばっかりで、プライドの塊のような貴族に辟易していた。

赤毛を厭われず、家格にもこだわらない結婚が出来たなら、どれほど良かったか。

「そうね。二倍の持参金が付かないと結婚は難しいよ」

田舎の領地にあれば、赤毛への劣等感を感じる事はさほどない。けれど、お父さまが存命の頃に連れて行かれた王都ではそうじゃなかった。

あからさまな嘲笑の視線に、私は幼心に深い傷を負った。

私が生まれた時、お父さまとお母さまは赤子の髪色を大層憂いた。そうしてお父さまは私の為に、持参金を貯め始めたと聞いた。

「……シンシアそれ、用意できないよな?」

持参金どころか、借金まみれのこの状況では、天地がひっくり返ってもそんな大金は出てこない。

「うん、だから私は結婚しない」

「じゃあさ、あたしと同じだ!」

唐突にエレンがそんな事を言った。

「え!? なんでエレンが独り身なのよ?」

エレンは大店の一人娘で、ちょっと優雅さには欠けるけど、とびきり美人だ。夫候補は列を成しているだろう。

ちなみに最近では私自身、口調やら所作やらかなりエレンに感化されている自覚があり、伯爵令嬢としての立ち振る舞いには自信がない。

「あたし、家庭に入って子供を産んで育てるって柄じゃないんだ。あたしはね、世界を見たいんだ。親父みたいに土着で商売するのもいいけど、いろんな国に行ってその国の特産を買い付けて売り歩く」

キラキラと瞳を輝かせるエレンが眩しかった。

この地に埋もれるように暮らそうとする私と、異国に羽ばたく夢を熱く語るエレンは対極にあるようだった。

「そっか、エレンならきっと実現させるね! ねぇエレン、それでもたまには帰ってきてよ? それで土産話を聞かせてよ?」

「当たり前だよ! 話だけなんてケチな事言うなよ。珍しい異国の特産をいっぱい土産に持ってくるよ!」

「すっごく楽しみ!」

エレンとの話は弾んだ。

「あ! ごめんエレン、私、そろそろ昼食の支度をしないと!」

ちょっと休憩のつもりだったが、随分と話し込んでいた。

お姉さまだけならいいが、ルドモンドが帰ってきて昼食の支度が出来ていないとなれば大目玉だ。

「おっと、あたしもついつい長居しちゃってごめん! じゃあシンシア、またな!」

「うんっ、またね! 今日は来てくれてありがとうね!」

けれどエレンとの、また、は来なかった。