千一夜物語

恋も愛も知らないけれど

仮面をつけていて良かった、と思った。


地面に片膝をついて声が出そうなのを耐えて歯を食いしばっていると、倒れ伏していた鵺がうつ伏せになりながらずりずりと近付いてくるのが見えた。


『私…の…せいで…申し訳…ありません…』


「…ははっ、お前喋れるのか…。つ…っ、さすがにこれは…堪えるな…」


猿の顔をした鵺が泣きそうな表情になった気がして、動物好きの黎はなんとしても自分が守らなければと奮起してひとつ短く息を吐くと、勢いよく立ち上がって刀を抜いた。


「な…っ、や、やるのか！？」


「恨み言を全て吐くといいぞ。もう喋れなくなるからな」


え、と声を上げたのも束の間――血溜まりができていた場所には夜叉の仮面をつけた男の姿はなく、気が付くと背後を取られて首筋にぴとりと刃をあてられていて凍り付いた。


「ひぃ…っ」


「傷を負ったのは十数年ぶりだ。神羅め、後で仕置きをしないとな」


本当は脂汗が浮くほど痛かったのだが、ぼたぼたと血を流しながら刃を横に引こうとした時――


「殺さないで！」


――凛としていて、やわらかい鈴の音のような声――


思わずその声色に聞き惚れて手を止めると、がさがさと草をかき分けて姿を現したのは――


「黒縫（くろぬい）！その傷はどうしたのですか！？」


黎の脇を駆け抜けて行くあまり背の高くない少女に見えた。

ふわりと良い香りがして、男の首筋にあてていた刀を下ろすと、男たちは倒けつ転びつ逃げ去って行き、現れた少女は倒れている血まみれの鵺を躊躇なく抱きしめて声をかけ続けていた。


「だから勝手に人里に下りないでと何度も言ったじゃない！」


『申し訳ありません…。あちらの方が、助けて下さいました…』


少女が顔を上げた。

真ん丸の大きな黒目が印象的で、濡れたように艶やかで真っすぐな髪が腰まで伸びていて、濃紫の着物がよく似合っていた。


「あなたが私の黒縫を助けて下さったのですか？」


「…そう…だ…」


「！もし…もし、大丈夫ですか！？」


声もなく倒れた黎に少女が駆け寄る。


これが黎と少女との出会いであり、運命の糸が絡み合った瞬間だった。