「ねえ、エイブラム。さっきはなんでこちらに戻ってこなかったんですか?」

 普段なら接客で席を外すことがあっても、じきにカウンターの方に戻ってくるエイブラムは、あの時は結局、レオナールがいる間一度も戻ってこなかった。

 そして彼がカフェ代としては多めのお金を席に置いて、釣りは不要だと言って席を立ってからしばらくして、エイブラムはカウンターに戻ってきた。

「……そういえば……そうですね」
 エイブラムは不思議そうな顔をして首を傾げている。

「すみません、お一人で作業させてしまいましたか……」
 申し訳なさそうに言われる言葉に、アンナは首を左右に振った。

「いえ……お客様がいらしたので、一人ではなかったんですが……」
「……え?」
 アンナの言葉に、エイブラムは変な声を返してきた。

「あの……いえ、私が……お客様に気づかなかった、わけではないというか……ああ、アンナ様も今朝から少しお疲れの様子でしたから。ええ、大丈夫です。今日は早めにお休みください」

 何故か慌てたような様子で、エイブラムは片づけをしようとしていた彼女の手からカップを取り上げて、流し場に持っていく。どうも彼は何かを勘違いしているような気がする。

「いえあの。今日私がお相手していた男性の方、記憶にありますか?」
 ふと不安になって尋ねると、彼はわかりやすく視線を泳がせる。

「あの……いえ、私今日ぼうっとしていたようで……」
 咄嗟に誤魔化そうとするから、慌てて彼の前に立って顔を見上げた。

「いえ、あの……」
 するとアンナのしつこさに観念したかのように、エイブラムは言いにくそうに口を開いた。

「私の見間違いでなければ、カウンターでアンナさんが仕事をしていた時ですが、誰も……いなかったと思うのです」

「……え?」
 エイブラムの言葉に、アンナは絶句する。

「お一人でお茶の準備をしていらしたので、お茶を淹れる稽古をしていらっしゃるのかなと思ってまして……。
 言われた瞬間、ぞっと背筋に寒気が走る。

「あの、エイブラムさん? この世界にも幽霊っているんですかね」
 自分にはあんなにはっきり見えるのに、エイブラムはその存在に気づかなかったと答えた。
 しかもアンナが一人でお茶を淹れていたように見えたというのであれば、それはまるで……。

「一応……隣の家は幽霊屋敷と噂されてますから、まあそういう存在はあると、この世界でも考えられているのだとは思いますが……」

(……いやあ、でもさすがに、まさか……ねえ?)
 心の中で否定しながら、アンナは次の瞬間、今日の夜、その幽霊じみた男の家に行かなければいけないという事実を思い出して、ゾゾゾ、と背筋を寒気が走っていたのだった。

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