鵲(かささぎ)の橋を渡って

小児科医・牛込伊織

「七瀬さん、お疲れさま」

ぽんと肩を叩いてから、誰かがデスクの上に小さなチョコレートと和菓子を置いていった。美月はチョコレートが好きだ。そして、和菓子も大好きだ。この贈り主は、間違いなく「彼」だ。

美月は顔も上げずにただ、ディスプレイを凝視する。未だにテクノストレス真っ只中の教授の学会誌発表予定の論文タイピングの仕事を仕上げねばならない。美月はプロなのだ。

だから、いつの間にか人数が減っていく医局の中で、「彼」と二人きりになったのにも気付かないふりをして、猛烈な早さでキーボードの上で指を走らせる。一流のピアニストが美しいパッセージを奏でるように、そのキーを叩く音は、人を心地よくし、またどこか寂しささえ感じさせた。

「気に入りませんでしたか?その和菓子」

ディスプレイの上にぼんやり人影が映る。美月はぶっきらぼうに答える。

「そんなことありません。ありがとうございます、牛込先生」

「伊織、でいいと」

「そんなわけにはまいりません、牛込先生」

はあ、とため息が聞こえた。

「今日も七瀬さんとの進展無し、と……。日記に書こう」

「はあ?!日記?そんなものつけていたんですか?」

「はい、七瀬さんとのことなら何でも記録しますよ。恋のカルテは僕の日記です」

「やめてください」

美月は怖い顔をして振り返った。そこには、ふんわりした笑みを浮かべて、美月と同じ和菓子を食べかけている小児科ドクター、牛込伊織(うしごめ・いおり)がいた。
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