初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
十四
「なぜ私に断りもなしにアレクサンドラ嬢に会いに行ったのですか?」
 馬車に乗るなり、アントニウスは声を荒げた。
「あなたのそういうところ、本当にお父様似ね。悪いところは似なくて良いのよ」
 マリー・ルイーズは他人事のように言うと、アントニウスの問いに答えようとはしなかった。
「御者が言ってましたよ、母上に命じられて脱輪させ、アーチボルト伯爵家に助けを求めに言ったと」
 アントニウスが更に問い詰めると、マリー・ルイーズは仕方なさそうにアントニウスの方を向いた。
「せっかく、見合い見合いと病気のように繰り返すお父様を黙らせるために私がこちらに来たというのに、あなたときたら、本命であるお嬢さんには紹介もしてくれないのだから、将来の姪になるジャスティーヌに会いに行って何が悪いというの?」
 マリー・ルイーズの言葉に、アントニウスは鋭く母の事を睨みつけた。
「ジャスティーヌ嬢に会いに行ったのではなく、本当はアレクサンドラ嬢に会いに行ったのでしょう?」
「だとしたら、何がいけないの? 私がアレクサンドラに会いに行くのに、なぜあなたの許可がいるのです?」
 マリー・ルイーズは開き直っていった。
「お願いですから、傷口に塩を塗るような真似は止めてください」
 アントニウスは吐くように言った。
「傷口に塩を塗る? 何を言っているのです。私は、あなたの恋が成就するように、橋渡しをするためにわざわざエイゼンシュタインまでやってきたのですよ。ただ、あなたのお父様がうわごとのように口にする『見合い』という言葉から逃れるためだけではありません」
 マリー・ルイーズの毅然とした態度に、事情を説明できないアントニウスは仕方なく口を閉じた。
「あなたがアレクサンドラに恋していることも、本当は妻に迎えたいことも分かっています。あなたが応接間に入ってきた時のあの顔、あの顔を見てあなたが彼女に骨抜きだということに気付かない人がいるとしたら、よっぽどその手の事に鈍い人としか言えないくらい、あなたの顔にはアレクサンドラを愛しているとはっきりと書いてありましたよ」
 母の言葉はあまりにももっともで、返す言葉もないほどだった。応接間に案内され、光り輝く上品なジャスティーヌの隣に座るアレクサンドラの、スッと筋が通ったような、可憐で居ながらもどこか強さを漂わせる美しさに目が釘付けになり、もう少しで母を迎えに行ったことを忘れ、再び愛の言葉を紡いでしまいそうだった。しかし視界に、してやったりという顔をした母が入った瞬間、アントニウスは冷静さを取り戻し、無事に母を屋敷の外へ連れ出し、馬車へと押し込むことが出来たのだ。
「母上だって、分かっているはずです。片方が愛していたからと言って、結婚が成立するわけではないということも、それに、地位や権力をかざして愛してもいない相手を無理やり伴侶とすることの虚しさも。ですから、これ以上、私の傷口に塩を塗るようなことは止めてくださいとお願いしているのです」
 アントニウスが言うと、マリー・ルイーズは少し首を傾げた。
「あなたは何をして、私があなたの傷口に塩を塗っているというのですか?」
 マリー・ルイーズから見れば、社交界デビューに関わる一切の支度を一手に引き受けることを親が承諾するということは、半ば婚約したも同然。当然、女性の親から娘を貰ってくれとは切り出せないわけで、援助をした側から、さりげなく結婚の話を切り出すのが当然の流れ、そうとすれば、未だに両家の娘の一覧とにらめっこをしながら、真剣に自由奔放に育った息子に見合いをさせようと考えている涙ぐましい夫の努力が完全に無駄骨であることを妻であり、母であるマリー・ルイーズがはっきりさせることが一番だった。イルデランザ公国では、他国から嫁いできた公爵夫人であるマリー・ルイーズも、母国のエイゼンシュタインに戻ってくれば国王の従妹。従兄である国王の私的なブリッジ友達である伯爵家の娘の一人が王太子に嫁ぐことがほぼ決まっている今、その妹を公爵家の嫡男の妻にと望むことは、世間から見てもおかしくもなんともないことだ。それなのに、完全に狼狽し、疲労困憊している息子からは、わざわざ母であるマリー・ルイーズがエイゼンシュタインに帰国してまで、息子の恋を助けようとしていることに対する歓迎の態度も、喜びも見られなかった。
「私は、既に結婚の申し込みをして、お断りを受けているのです」
 実際には、断られたというよりも、アレクサンドラはアントニウスの情夫になることを受け入れており、国で妻を娶り、エイゼンシュタインを訪ねた時に関係を持つ相手として、社交界デビューの支度金のかたに自分自身を差し出すと良い、アントニウスの正妻になることなど、考えられないというのが、断りの理由だったのだが、そのことを話せば、そこに至った経緯と、アレクシスの存在に関する秘密を話さなくてはならないので、アントニウスには口をつぐむ以外に道はなかった。
「既に断られたと? まさか! あなたはイルデランザ公国のザッカローネ公爵家の嫡男ですよ! あのアーチボルト伯爵がそんなことをするとは思えません」
「伯爵には、正式にお話ししてはいません。ただ、叔父上にお話をしたので、伯爵もご存知だとは思いますが、何しろ、従弟の見合い相手に懸想しているわけですから、筋を通しておかなければ、両国の間に問題が発生するといけませんから。ですから、結婚の申し込みは、アレクサンドラ嬢に直接です。そして、お断りを受けました」
 アントニウスは言うと、がっくりと頭を垂れ、大きなため息をついた。
 今でも、あの日のアレクサンドラの『私はあなたの情婦になります。それがあなたの望みならば・・・・・・』という言葉がアントニウスの耳に残っていた。
 極めつけは、あの日以来見る夢は、アレクサンドラに求婚し、承諾を得られたと思うと相手は別の女性で、近くの木陰からアレクサンドラが、アントニウスが他の女性に求婚している姿を見ていたという悪夢ばかりだった。いつも悪夢は、アントニウスが相手の女性に自分が求婚したかったのは、アレクサンドラだと言い、逃げていくアレクサンドラを追いかけようとして足がもつれ、倒れて目が覚めるという繰り返しだった。
「なぜ、アレクサンドラはあなたの求婚を断ったのでしょう?」
 理由は一番アントニウスが良く知っていた。アントニウスがアレクサンドラの心を貝のように固く閉ざさせてしまったからだ。アレクサンドラに、アントニウスはただアレクサンドラを弄んで楽しんでいるだけだと、そう信じ込ませてしまったから。愚かにも、実はロベルトと同じように、一目惚れだったと自分で認めたくなかったから。ゲームを楽しんでいるうちに、本当に好きになってしまったのだというふりをしたかったから。しかし、深く傷ついたアレクサンドラの心は、頑なに閉ざされ、もはやアントニウスを受け入れてくれるなどということは、考えられもしなかった。
「私がこの国で流した浮名の数は、数え切れませんし。そういう軽薄な男は嫌だと思われたのかもしれません」
「それならば、ロベルトも同じでしょう? あのおとなしく慎ましやかなジャスティーヌがロベルトの求婚を受けようというのに・・・・・・」
「母上、あの二人が婚約したのは、子供の頃です。その事を叔父上が知ったのがつい最近名だけで、ロベルトが浮名を流していたのは、ジャスティーヌにやきもちを妬かせたかったから、ただそれだけです」
 苛立ちと、後悔と、蘇ってくる悲し気なアレクサンドラの言葉に頭がおかしくなりそうなアントニウスの頭にマリー・ルイーズが手を置いた。
「アントニウス、私はあなたの母です。あなたの名誉を守るためなら、どのような秘密も墓までもっていく覚悟はできています。母に話してごらんなさい、あなたが隠していることを・・・・・・」
 子供をあやすように優しく頭をなでる母に、アントニウスは思わずすべてを話してしまいたいと思ったが、寸でのところで思いとどまった。
「母上、私は自分の名誉にかけて誓ったのです。私が偶然知りえた重大な秘密を絶対に誰にも話さないと。この秘密は、私と共に、私が土に還るまで私の中に封印されたのです」
 顔を上げてアントニウスが言うと、母のマリー・ルイーズは怒るどころか、誇らしそうにアントニウスの事を見つめた。
「それでこそ我が息子です。母に優しくされたくらいで、秘密を洗いざらい話すような息子に育てた覚えはありません。ですが、これだけは言っておきます。あなたの帰国は中止です」
「えっ?」
「あなたには責任があります。社交界になれていないアレクサンドラを社交界にデビューさせ、烏合の衆からアレクサンドラを守り、ジャスティーヌとロベルトの正式な婚約が発表された後、欲にかられたバカな貴族の子息たちがアレクサンドラを奪い合う醜い争いからアレクサンドラを守る役目があります」
「ですが、母上、父上は早く戻って来いと」
「それは、見合いをさせるためです。あなたに、見合いをする気があるのなら母は止めません」
 『見合い』という言葉にアントニウスの決心が揺らいだ。せっかちな父の事だから、見合いをすればその日のうちに結婚するからしないかと決断を迫るだろう。なんとか理由を見つけて断ったとしても、何度も続けば、最終的には絶対に断れない話が回ってくるのは目に見えていた。
「お父様は、私が知っているだけでも二十人の両家の娘を選んでいます。そして、最後は、グランフェルド大公の末娘を相手として選んでいます」
 グランフェルド大公は、イルデランザ公国の隣にある同じく公国で、イルデランザやエイゼンシュタインの加盟している同盟には加盟していないグランフェルド公国の大公、つまり国家元首に当たる。その末娘と言えば、絶対に断れない見合いということになる。
「どうしますか? 帰国しますか?」
 残れば、デビュー後の心細いアレクサンドラの傍に付き添い、政治的な圧力を使ってアレクサンドラを自分のものにしようとしている卑怯な連中や、王族と縁戚関係になりたいだけのつまらない男からアレクサンドラを守ることができる。
「私が残っても、大丈夫なのですか?」
「ええ、私が様子を見て、連絡するとお父様にはお話してあります。その間は、決して見合いの話は進めないようにと、釘を刺してきました」
 やはり、惚れたものの弱み、惚れた方が蒔けというのが世の中の常ということらしい。絶対にあのいかめしく、厳粛で、何事にも厳しい父上が、まるでアントニウスの姉のように若く見える母に頭が上がらないとは、誰も想像もしないだろう。
「では、残ります」
「よろしい。アーチボルト伯爵からも、デビュー後のアレクサンドラの事をよろしくお願いしますと託されました。何しろ、ジャスティーヌにはロベルトがべったりですぐ二人の世界に入ってしまうのでしょうから、アレクサンドラが心細くなってはいけないと。この大切な役目、あなたに任せましたよ」
 マリー・ルイーズは笑顔で言った。
「はい、母上。このアントニウス、確かにお引き受けいたしました」
 アーチボルト伯爵のお墨付きとあれば、堂々と邪魔な輩を排除することができる。いずれ、別れの日は来るだろうが、一日でも長くアレクサンドラと一緒にいることが出来るならば、それ以上に望むものはアントニウスにはなかった。

☆☆☆

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