初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
手紙を受け取ったジャスティーヌは、ノックも忘れてアレクサンドラの部屋に駆け込んだ。
 アレクサンドラは、遠乗りに着て行く予定のドレスを試着し、ライラに短い髪を何とか纏めて大きな飾り帽子の中に収めて貰っているところだった。
「大変よ!」
 ジャスティーヌが言うと、アレクサンドラはゆっくりとジャスティーヌの方を振り返った。
「どうしたの?」
 問いかける言葉は、まるで食事を抜いたかのように力が抜けていた。
「殿下からのお手紙で、遠乗りにイルデランザ公国の公爵家のご子息が同行されるから、あなたに相手をして貰いたいって」
 ジャスティーヌが言うと、アレクサンドラは一拍してから、やはり空気が抜けたような声で『やったぁ!』と言った。
「どうしたのアレク?」
「ねえ、いつもジャスティーヌは、この拷問道具みたいなコルセットつけてるの?」
「もちろんよ」
「えっと、家にいるときも?」
「当たり前じゃない。コルセットがなかったら、ドレスが着れないわ」
「じゃあ、これをつけて食事したり、ダンスとかするわけ?」
「当然じゃない」
「そっか、やっぱり、僕には女性はムリだわ。ライラ、外して、全部今すぐに!」
 必死に締め終えたばかりのコルセットの紐をライラは命じられたとおりに解いた。
「あー、やっと息が吸える」
 元気を取り戻したアレクサンドラに、ジャスティーヌが首を傾げた。
「無理も無理。こんなに締められたら、息もろくにできないよ!」
 言うなり、アレクサンドラは大きく深呼吸を繰り返した。
「ああ、死ぬかと思った」
「小さい頃から毎日付けていたら、全然そんな事感じないわよ」
「僕が最後にコルセットを付けたのは、多分、十歳の頃。絶対にイヤだと思って男の子になるって決めたんだ」
 アレクサンドラはぼやくと、ジャスティーヌの手から手紙を奪い取った。
「イルデランザ公国のザッカローネ公爵家嫡男のアントニウスって、どっかで聞いた事あると思ったら、ああ、軍人みたいにガタイの良い殿下の従兄様々じゃないか」
「知ってるの?」
「うん、何回かサロンで会ったことがあるよ。でも、ほんとジャスティーヌってスゴいね。あんな拷問道具着て毎日過ごして、ダンスは踊る、歌は歌う。僕には絶対真似できないよ。ライラが紐を締め始めたとき、絞め殺されるのかと思ったよ」
 アレクサンドラの言葉に『ご冗談を』とライラが呟いた。
「僕は真剣だよ!」
アレクサンドラは、怒りを込めて叫んだ。
「あれでも、ジャスティーヌ様の時よりは、遥かに緩くしめさせていただいたんですよ。そのせいで、ジャスティーヌ様に合わせて新調したドレスでは入らなくて、古いドレスを引っ張り出す羽目になったんですよ」
 ライラが直ぐに反論した。
「ジャスティーヌ、僕、本当にジャスティーヌを尊敬しちゃうよ」
 アレクサンドラは、半ば涙目になりながら言った。
「でも、あなたもそろそろドレスを着る練習をした方が良いんじゃない?」
 ジャスティーヌが諭すように言った。
「ご冗談を!」
 アレクサンドラが、馬耳東風といった雰囲気でかわした。
「でも、本当に修道院に入るつもりなの?」
「他にコルセット付けないで生活が出来る場所がこの世にあるの?」
 アレクサンドラの徹底的なまでに自由気ままに暮らしたいという心理にジャスティーヌはため息をついた。
「修道院に入ったら、コルセットを付けなくても、コルセットを付けるのよりも、もっと堅苦しい生活が待っていると思うけど?」
 ジャスティーヌの言葉をライラが引き継いだ。
「修道院では、身の回りの事は全部自分でやらなくてはなりませんし、掃除、洗濯、料理など大変な仕事が沢山待っておりますよ」
「えっ、所領内の修道院なら、その辺はお父様が上手く計らってくださるでしょう? だって、私は王太子妃の妹、つまり将来の王妃の妹な訳だし」
「さあ、如何でしょうか? 一度、修道院に入ったら、貴族の娘も領主の娘も関係なく、細々とした雑事から何から、全部平等に負担すると聞いておりますが」
 ライラの言葉に、アレクサンドラは目をしばたいた。
「それに、ほとぼりが冷めたら還俗するし」
「ですが、それこそ、王妃様の妹君となれば、勝手気ままに平民のように暮らすわけには参りませんしねぇ」
 ここぞとばかりに、ライラがアレクサンドラを脅した。
「わ、わかったよ。少し考えてみる」
 渋々アレクサンドラは言うと、女性物の衣類から逃げ出し、手直にあった男性物の普段着を身にまとった。
「あー、楽だ! ほんと、コルセットは苦しいし、ドレスは重いし、化粧に長い髪の毛、なんで女に生まれただけでこんなに大変な思いしなくちゃいけないんだか!」
 ぶつぶつと文句を並べるアレクサンドラだったが、アレクサンドラがレディの身仕度をしていたのは、ほんの少しの時間だけのことだった。
「で、遠乗りでは男としての僕が必要なわけだ」
「そういうことになるわね」
 ジャスティーヌは言うと、大きなため息をついた。
「どうしたのジャスティーヌ?」
「殿下は速く走らせるかしら?」
「うーん、二人乗りだとスピードは出さないと思うよ」
「私、馬に乗るの大人になってから初めてなの」
 ジャスティーヌは不安そうに言った。
 乗馬は貴族の嗜みとは言え、弱小伯爵家では支度にお金のかかる乗馬をするのは伯爵と、そのお古が使えるアレクシスだけで、弱小男爵家出身の夫人も乗馬をしないため、お古が貰えないジャスティーヌは、いつも誘いを丁重にお断りしてしのいできたのだった。
「乗馬したことないっていうか、一人では乗れませんって父上が手紙を書いてくださったんだし、大丈夫でしょ。それに、怖かったら、殿下にしっかり抱きついていれば良いじゃん」
 アレクサンドラの言葉に、ジャスティーヌが少しむくれた。
「いいわよ。でも、殿下にしがみつくのは私じゃなく、あなたなんですからね」
 言われてから、アレクサンドラははっとしたように『やっぱりやめて』と、祈るようなポーズをした。

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