初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
ゆったりとした部屋着に着替えたアントニウスは、柔らかいアレクサンドラの体の感触を思い出しながら、一刻も早く男の姿をしたアレクシスではなく、ジャスティーヌのように美しく着飾ったアレクサンドラとダンスを踊り、食事をし、観劇をしたりして愛を深めたいと思っていた。
 秘密を知っているアントニウスからすれば、一目ぼれ宣言をした時のジャスティーヌの驚きはもっともで、きっと屋敷に戻ってからジャスティーヌは、今後は一人二役は難しいと、アレクサンドラに女性に戻るように説得を始めてくれていることだろう。
 そう考えると、アントニウスは一刻も早くアレクサンドラをその腕に抱き、ありったけの愛の言葉を囁き、あの頑ななアレクサンドラの心を自分のモノにしたいと、気持ちが逸るのを感じた。
 少なくとも、シュタインバーグ伯爵は売り込む前から自分の娘が断られたとは誰にも知られたくないはずだから、アントニウスの発言を言いふらして回ることはないとは思ったが、それでも、自分の口から伝える前に国王陛下の耳に入ることは、両国の和平に水を注ぐようなことになりかねないので、明日にでも正式に謁見を申し入れ、正式な場所で報告する必要があるなと、アントニウス心に決めた。
 ベルを鳴らすと、執事のミケーレが直ぐにやってきた。
「ミケーレ、国王陛下への謁見の申し込みをしてくれ」
 アントニウスの言葉に、執事は驚いたようだった。
 確かに、この十数年、非公式に謁見することはあっても、改まって正式な謁見を申し込んだことは一度もない。
「正式に、謁見をお申し込みになられるということでしょうか?」
 確かに、身内として非公式に会うのはある意味簡単だが、爵位のないアントニウスが国王陛下に謁見を申し込んでも、いつ順番がまわってくるかわかったものではない。場合によっては、用むきを書面で最初に提出し、父からの身元証明の書類を求められても仕方がない身分であることは変えようがない。
「実は、叔父上に直接お話しておきたいことがあってな」
「ですが、正式なものとなりますと、記録が残りますが・・・・・・」
 さすがに執事、アントニウスの頭の中を覗いているかのように、的確な返答だった。
「あー、つまり、正式に謁見すると、イルデランザ公国のザッカローネ公爵家嫡男がエイゼンシュタイン王国の王太子妃候補に懸想しているという記録が残るということか・・・・・・」
「それは、大変なスキャンダルになるかと思われます」
 ここで両国が犬猿の仲になぞなっては一番困るのは誰でもない、アントニウスだ。
「では、非公式ならばありか?」
「左様でございますね。陛下は、本当の甥のようにアントニウス様を可愛がってくださっていらっしゃると奥様よりうかがっております。非公式であれば、お耳をお貸しくださる可能性は高いかと思われます」
「わかった。では、明日の午後にでも、叔父上のご機嫌うかがいに参ろう」
「それがよろしいかと存じます」
「それから、赤いバラの花束をアレクサンドラ嬢に、小さな可愛いブーケと砂糖菓子をジャスティーヌ嬢に送っておいてくれ」
「かしこまりました」
「下がっていいぞ」
「では、失礼致します」
 ルドルフは一礼すると、アントニウスの部屋から出ていった。
 アントニウスの執事であるミケーレは、もともと母が嫁ぐ際にエイゼンシュタインから連れていった選りすぐりの使用人の一人で、アントニウスが侯爵家の嫡男として社交界にデビューするにあたり、エイゼンシュタインへ足しげく遊びに行くアントニウスの為に母がエイゼンシュタインのしきたりに詳しい者が適任だろうと、選んでくれた執事だった。
 母と共にイルデランザ公国に赴き、厳しいイルデランザのしきたりと、公爵家におけるしきたりをしっかりと身につけたミケーレは、アントニウスにはなくてはならない存在だった。
 思えば、異国から嫁いできた母に対し、息子の自分から見ても父はとても優しいとは思えなかった。母のマリー・ルイーズはエイゼンシュタイン国王の姪という立場もあり、イルデランザのしきたりを拒むことはなかったが、折につけエイゼンシュタインのしきたりを貫き通したがることもあった。衝突する両親の間で、どちらのしきたりにも従えるようにアントニウスは努力し、父と一緒の時はイルデランザのしきたりに従い、母といる時はエイゼンシュタインのしきたりに従うようにした。そんな二人だから、長い間、政略結婚なのだと信じて疑わなかったアントニウスだったが、実は父が母に一目ぼれし、皇嗣(こうし)から横取りして結婚したとは、未だに信じられないが、それが真実だった。
 今から思い返すと、愛情表現豊かな母に対し、父は単に恥ずかしがり屋で息子のいる前で母に愛情を示すことができなかったのかもしれないと、思われることが多かった。アントニウスの前で、どんなに激しい喧嘩をしても、朝には二人は仲直りしていたし、母が療養にエイゼンシュタインに長期滞在する時は毎日父から母宛に手紙が届いたが、アントニウスに届くのは月に一回程度だった。

 そんなことを思い出しながら、アントニウスは自分がアレクサンドラを妻にするということは、母と同じように、アレクサンドラをイルデランザのしきたりでがんじがらめにするということなのだと考えると同時に、自分は父のようなタイプではないので、アレクサンドラが寂しく思うことがないように、しっかり愛で包み、辛い思いなどさせるものかと、心に誓うのだった。
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