銀貨の代わりにあなたに愛を
第八章:覚悟
それから一ヶ月も経たないうちに、とうとうドルセット伯爵ベルナールが北の領地から帰ってきた。
ベルナールは噂をききつけたのか、帰宅早々客間へアンドレとエリーゼを呼びつけて怒鳴り声を上げた。
「一体どういうことだっ!」
アンドレとエリーゼの肩は揃ってびくっと上がった。父は相当頭にきているようだ。いつものことだがとアンドレは心で付け加えた。
ベルナールは続けた。
「エリーゼと罪人の男が恋仲だと!? 噂が流れるにもしてもここまでばかにされたものは初めてだ! アンドレ、お前はなにをしていた!」
「お言葉ですが、父上、私は……」
「お兄様のせいではありません」
アンドレの言葉を遮ってエリーゼは凛とした声で言った。
「噂の原因になるような事をしたのは私です。そして嘘ではありません。私は……」
エリーゼは父を見据えて答えた。
「私は彼を――その罪人だった彼を愛しているのです」
「……!?」
ベルナールはあまりの驚きに目を見開いて一瞬言葉をなくした。
「お前が、その男を……!? な、なにを……! そんなことが許されるとでも思っているのか!?」
「許しを乞うつもりはありません。どれだけお父様が軽蔑しようと、私は自分の意見を変えるつもりはありませんわ」
「なんだと、エリーゼッ!」
「父上、まあ落ち着いてください」
父親が勢いあまって立ち上がるのをアンドレはゆっくりとなだめるが、伯爵は伸ばされた息子の手を振り払った。
「これが落ち着いていられるか! 私の娘が……貴族の娘が罪人の男と恋仲なぞ許せるわけがなかろう!?」
アンドレは落ち着いた声で言った。
「父上は、その罪人の男が何者かご存知なのですか」
「もちろん知っている。周辺諸国で有名だったあの銀行家ラグレーンだろう? 不正の山積みで牢獄にいたという……」
アンドレは頷いた。
「そうですね、その通りです……ところで父上。北の地でも私の所有している商会が成功している話はしましたね? 少しずつ我々伯爵家の貯金が増えつつあり、将来的にも安定が見込めるという状況になったという話は覚えておいでですか?」
ベルナールは息子の話に眉を潜めた。
「突然なにを言い出すのだ?」
「とにかく商いのおかげで、土地を売る必要も、エリーゼの政略結婚も懸念する必要はなくなったのでしたね?」
「事実上はそうだが、それとこれとは……」
「大いに関係しているのですよ、父上」
アンドレは涼やかな笑みを浮かべていた。
「その商会の経営を任せている人物こそ、罪人の男ラグレーンその人なのです」
ベルナールはぽかんと口を開けた。アンドレは笑みを絶やすことなく続ける。
「彼は、我々伯爵家に大いに貢献してくれている、欠かせない人物なのです」
「アンドレ、貴様……!」
「ええ父上、その通りです。私はエリーゼが彼と親しい関係にある事を承知で……いいえ、親しい関係にあるからこそ、ラグレーン殿に商会の経営を託したのです」
父親が歯ぎしりしている横で、エリーゼはその言葉に目を見開いた。
「お兄様、そうだったの?」
「彼がお前にふさわしいと父上に認められるには、それが一番良いと考えたんだよ」
アンドレは妹ににっこり微笑みかけると、父親の方へ向き直った。
「それに父上。彼は我々が手を貸すだけの人物であることは確かですよ。ラグレーン殿は商いの才がある男です。現に、利益は確実に増えている。世間に冷たさは残っているが一部の貴族達から信頼を勝ち得ています。その数はどんどん広がっている。あれは彼の努力の結晶だ」
「黙れっ! 商会を辞めさせないことは譲ってやるが、エリーゼの相手なんぞには絶対に認めないからな! 世間ではない、この私が許さん!」
「お父様、そんな……!」
ベルナールは娘に鋭い眼光を向けた。
「エリーゼ、私はお前に結婚する気がないと思っていたから強要はしなかった。母親を知らずに育ったお前の意向には、できるだけ添いたいと思っていたからだ。だがこの家の名誉を貶めるというのなら、私にも考えがある」
 ベルナールはそう言うと、ドンドンと足を踏み鳴らして応接間から出ていってしまった。
 エリーゼは父の言葉にぞっとした。父は一体なにをする気なのだろう。
 部屋に残されたエリーゼとアンドレは不安そうな顔を見合わせた。

 翌日からエリーゼは父親から外出禁止を言い渡された。元々屋敷に引きこもってばかりいた彼女にとっては苦痛ではなかったが、父が食事の時も口を開こうとしないので、なにを考えているのか気になって仕方がなかった。
幾日か経ったある日、エリーゼの部屋をアンドレが訪れた。
「明日、父上はラグレーン殿と会うらしい。私もエリーゼもその場に同席することはだめだと言われた……隣の部屋で、父上とラグレーン殿の会話を聞けと」
エリーゼは眉を潜めた。
「なあに、それ……。お父様はグランになにを言うつもりかしら」
「わからない。まさか呼びつけて罵倒することはないと思わないが」
お願い、どうか彼を傷つけるような事は言わないで。エリーゼはただひたすらに祈るばかりだった。


「あれ、ラグレーンさん、今日の午後空きがあるんですか?」
エミール・アルノーが今日の予定表を見ながら言った。
事務所の大きな机で決済表を見ていたグランは、はっと顔を上げて時計を見た。そろそろ準備をしなければならない。
グランは書類の端をトントンと合わせながら頷いた。
「ああ、ドルセット伯爵の屋敷に行く約束をしているんだ。悪いが帰ってくるまでの事は頼んだぞ」
同じく机に向かっていたジャスマンは、それを聞いてきょとんと顔を上げた。
「でも、今月の収益表を出すのにはまだ早いですよ? それとも新しい顧客の紹介……?」
グランは苦笑いした。
「いいや、仕事に関してではなさそうだ……アンドレ殿ではなく、現当主ベルナール様にお会いすることになっている」
「ええっ、ドルセット伯爵ご自身に!?」
「で、でも、現当主様は、商会には全くご関心がなかったのでは?!」
グランは目を細めて頷いた。
「そうだ。だから、今回はおそらく――俺の、俺自身が抱えている問題の事だと思う」
グランは十中八九、エリーゼの事だと確信していた。舞踏会であんな騒ぎがあったのに噂を聞きつけないはずがなかった。伯爵はどのようにして自分を排除しようとするのだろうか。そう考えると心が暗くなった。
グランは部下二人に真剣な顔を向けた。
「俺が帰ってきた時、もしかしたら俺はなにもかも失っているかもしれない。もはやお前たちの上司ですらないかもしれない。それでも、お前たちにはこの仕事をこのまま続けてほしい」
「えっ」
「それは一体どういう……」
「まあ、アンドレ殿が俺を必要としてくれている限りは、ここに居続けるから安心してくれ。ただ……」
グランはなにかを言いかけたが「なんでもない」と首を振ると、不安そうな部下を残したまま事務所を後にした。
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