華雪封神伝~純潔公主は堅物武官の初恋を知る~

皇城守護結界、消失

 そんな彼女の心など知らぬ絃秀は、とても楽しそうにその日のことを語った。

「それでね、姉さま。陵威殿が連れていってくれた店の宝貝職人が、すごく面白い髪型をしていたんだ。こう、くるくると巻いた髪が束になって、あちこち跳ねていてね。いったいどうしたんだろうと思って聞いたら、理由を教えてくれたんだけど……」

 絃秀は、そのときのことを思い出しているのか、笑い含みの声で続けた。

「僕たちが行く前の日に、宝貝造りに失敗して爆発騒ぎを起こしてしまったんだって! 部屋中がすすだらけになって、とても大変だったらしいよ」

 まぁ、と華雪はほほえむ。

「ご本人にお怪我がなくて、よかったわね」

 陵威が苦笑しながら口を開いた。

「彼は、自分が懇意にしている宝貝職人なのですが、少々変わった人物でして……。造るものはどれも一級品なのですが、作品が出来上がるまでに、必ず一度はそういった騒ぎを起こすのですよ」

 それさえなければ、皇城へ推挙してもいいくらいの腕なのに、と陵威は至極残念そうだ。興味を引かれた華雪は、彼を見る。

「陵威さま。もしよろしければ、後日わたしもその宝貝職人のお店にお連れいただけませんか?」
「え? あ、いや……華雪公主のお望みとあれば、ご案内いたしますが……。その、とても小さな店ですし、扱っている宝貝も基本的に武具や防具の類だけです。それでも、構いませんか?」

 歯切れ悪く言う彼に、華雪はうなずく。

「はい。陵威さまが認めるほどの腕を持つ宝貝職人なのでしたら、ぜひご挨拶させていただきたいです」

 実際のところ、武具はともかく、防具として売られている宝貝――しかも、陵威が『一級品』と言うほどの品となると、華雪の好奇心はこれでもかとばかりにくすぐられる。
 彼女は幼い頃から、一部の側室たちから差し向けられる暗殺の手を退けるため、自ら防御宝貝をあれこれ造っていたのである。

 決して自慢できることではないので口外していないけれど、対暗殺宝貝に関しては、華雪はちょっとした専門家であった。できることなら、件の職人と防御宝貝について、心ゆくまで語り合いたい。

 そんな気持ちを込めて見つめていると、陵威が困ったように目を逸らした。

「そう……ですね。それでは、近いうちにご案内させていただきます」

 決して乗り気には見えない彼の様子に、華雪はしょんぼりと肩を落とす。

「……あの、陵威さま。ご迷惑なのでしたら、無理にとは申しません」
「いえ! 迷惑などということは、断じてありません!」

 陵威がひどく狼狽した様子で否定する。彼はひとつ息をつくと、改めて華雪を見た。

「申し訳ありません、華雪公主。どうも、自分は不調法でして……。今まで、馴染みの店に女性をご案内したことなどないものですから、少々焦ってしまいました」
(まぁ……)

 ずいぶんと正直に言う彼に、華雪がなんだか照れくさい気分になったときだ。
 突然、地面が下から突き上げられたような衝撃に襲われる。

 茶器が散乱し、直後すさまじい瘴気が辺りに満ちた。
 疫病などで多くの死者が出た土地や、かつての処刑場などには、人々の無念や恨みが染み込み、さまざまな穢れが淀みやすい。そういった穢れが周囲に悪影響を及ぼすほどに濃くなったものを、瘴気という。

 しかし、この皇城はありとあらゆる穢れを寄せ付けない防御結界で、つねに守られているはずだ。これほど濃い瘴気が満ちるなど、考えられない。
 薄暗く淀んで見える空気の中、華雪と陵威が叫んだのは、ほぼ同時だった。

「【定風珠】!」
「【紫綬仙陣】!」

 陵威が発動した短剣型宝貝【定風珠】は、地面に突き立て、その周囲に起こした風を操る宝貝だ。
 丸腰に見えた彼だったが、武官として常にいくつかの宝貝を携えているのだろう。渦巻く強い風に散らされ、瘴気が見る間に薄くなっていく。

 一方、華雪が発動させた【紫綬仙陣】は、透明な半球状の守護結界を形成する。有効半径は人間ひとりを守れる程度のものだが、大抵の攻撃は無効化できる、最高位の防御宝貝だ。
 首飾りとして身に着けていたそれを、とっさに絃秀の周囲に展開させたものの、どうやら彼はかなり瘴気を吸い込んでしまったらしい。華雪は運がいいことに、四阿の柱の陰にいたために無事であった。

【定風珠】の力で、辺りの瘴気がすっかり散ったのを確認した華雪は、結界を解除する。
「大丈夫? 絃秀」
「は、い……」

 けほけほと咳き込む弟の背中を撫でながら、華雪は青ざめた。

(あり得ないわ……。何が起こっているの?)

 見れば、【定風珠】の範囲から外れた場所に生えている木が、緑だったはずの葉を茶色く枯らし、散らしている。
 今のところ、城の外壁に影響は出ていないようだ。けれど、体の弱い者――老人や子どもがこんな瘴気にあてられては、下手をすれば死人が出る。

「陵威さま。いったいこれは……」
「皇城守護結界が、消失したようですね」

 華雪が問いかけるより先に、宙を睨みつけるようにしていた陵威が、視線を動かさないまま言う。

「消失理由はわかりません。ですが、これほどの瘴気を伴う襲撃者となると――最悪の事態を、想定しなければならないと思います」

 強張った声でつぶやかれた言葉に、華雪は鋭く息を呑む。
 まさか、と思う。けれど、陵威の示した可能性を否定できるものを、彼女は何ひとつ持っていない。

「神々の……封印が、解かれた……?」
「わかりません。ですが、これより先は、神々の解放を前提に行動しましょう。おふたりは、安全なところに移動してください。自分は、皇帝陛下の元へ参ります」

 もしこれが、本当に解放された神々の襲撃であるのならば、真っ先にその標的となるのは、封禍王の血をもっとも色濃く受け継ぐ皇帝だ。

 風に紛れて、人々の悲鳴や怒号、泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
 一瞬、そちらに顔を向けた陵威は、助けを求めるたくさんの声に心が揺らいだようだ。今すぐ、彼らの救助に向かいたい気持ちが湧いてくるのは、人として当然の反応だろう。

 だが、武官である彼には、主君を守る義務がある。そしてその義務は、公主である華雪にとっても同じことだ。
 華雪は、ぎゅっと両手の指を握りしめて陵威に告げる。

「わかりました、陵威さま。ご武運をお祈りいたします」
「【定風珠】は、こちらに置いていきます。おふたりも、どうぞご無事で」

 今は、一刻を争う。即戦力となる陵威を、こんなところで引き留めるわけにはいかない。
 武官としての訓練を積んだ道士は、常人には考えられない身体能力を発揮する。彼は華雪たちに一礼して踵を返すと、皇城の壁を蹴って跳び上がり、あっという間に屋根の向こうへ消えていった。
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