さようなら、初めまして。
・1週間目
足の裏を掃い、交互に履いた。…柔らかいパイル地。踵に合わせたら指先がかなり余った。
これも中々に恥ずかしい、…だけど…何だか、音もなく、地面を感じて歩くなんて久し振りな感じだった。自然と踵が上がっちゃう。この地面の感じ、運動会で裸足になって以来かな。フフ。靴下越しだし、グラウンドの土とアスファルトでは全然違うけど。なんだか…懐かしくて楽しいかも…。


「おかえりなさい、逢生ちゃん」

「あ、百子さん。ただいま~」

気がついたら部屋に帰っていた。

「まあ、ホホホ、何だか楽しそうだ事。靴は忘れて来ちゃったの?」

え?フフ、そんな訳ないのに。百子さんは足元を見て不思議がっていた。百子さんは言葉のチョイスが不思議な人で、面白い表現をする人。フフ、忘れたのならまた履けるんだけどなぁ。

「え、あー違いますよ。ちょっと…これ、壊れちゃって」

見てくださいって、ブラブラさせて靴を見せた。

「あらあら、大変。だから随分変わった格好になっちゃったのね」

あーこれ、よね。脚を上げてみた。フフフ。まあ、これは、誰が見ても変で、訳ありな格好よね。

「はい。あ、これは…」

「ちょっと部屋に寄って行って頂戴」

「え。あ、でも」

いつもこんな風に誘われて、そして貰い物ばかりしてしまう。きっと今日もそうだ。

「またなのよ?息子がね、沢山送ってくれて。好きだって言った物、甘い物が沢山あるの。送るついでだから多くなるのかしらね。貰ってくれる?さあさあ…遠慮は無しですよ。よっこい、しょ」

あ。やっぱりだ。ゆっくり、ガラ、ガラと、戸を開けていた。

「私、足、こんなですから…」

「うう~ん。うちで洗うといいわ。お茶も、入れましょうね」

ゆっくりとした動作で招かれた。こうなっては百子さんの言う通りに従うしかない、寄らない訳にはいかないな。

「あ、はい…では。お邪魔します」

百子さんは大家さんだ。そしてかなりのご高齢。
まだ入居前の事だった。私が立ち止まってこのアパートの外観に見惚れていたところを、“勧誘”された。丁度、私は物件を探していたところだった。元々ここは、ご覧の通り、古くなって入居者が途切れた時で、いい機会だから取り壊そうかって言ってたところなのよ、と言われた。それは百子さんの年齢を考えた息子さんの意向でもあったみたいだった。でも、百子さんはまだここに居たいようだった。
造りは確かに古かった。防犯の面から言ってもあまり安全だとも思わなかった。でも、その元々の古い造りが私は好きだった。木造で長屋。大家さんも住んでる。レトロ…、モダンな感じがした。
開け閉めする度ガラガラと音がする引き戸の玄関、模様の入った磨り硝子で木の枠だ。鍵は南京錠を掛けていた。今の世の中、こんな無防備な造りは中々ない。
季節を感じられる空間でもあった。建物の裏手は土地が広く、果物の木があり、庭もあり、鳥だって虫だって居そうな空間だった。それも良かった。
畑だって作れるのよ、と言われた。成る程……畝になってる部分、枝豆やトウモロコシを植え、水やりをして…収穫している事を勝手に想像した。
部屋を探していた私は、百子さんの言った“壊れるまで”と、“私が元気な間住んでいいから”、という条件で契約を即決した。つまり、どちらかが駄目になったらおしまいね、と。
家賃も超格安で、部屋は好きにいじっていいと言う事だった。私が引っ越して真っ先にしたのは、窓枠の塗り替えだった。どうしてもそれを緑色にしたかった。だから自己流でモスグリーンに塗った。

「逢生ちゃん?」

「あ、はい、はいはい」

「…思い出してたの?」

「あ、はい、ちょっと、懐かしんでました」

「…そう…」

「はい」

「さあ、上がって頂戴。…日が落ちるのも少しずつ早くなってきたわね」

「はい。では、ちょっとお邪魔します」

ちょっと考えていたから…。百子さんが、思い出してたの?と言った事は、私が思い出していた事とはきっと違うだろうと思った…。
…本当に…何処に居るのだろう…。元気なんだろうか。
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