さようなら、初めまして。
・これで…終わり
コツコツと部屋に向かって歩いていた。ジンさんはまだ仕事があるという事だったので部屋まで送るというのを断って通りで降ろしてもらった。

カラカラ、カラカラと引き戸の音がした。部屋まではまだ距離があった。でも、間違いなく私のアパートの、聞き慣れた引き戸の音だった。
百子さんが出て来たんだ。

よっこいしょと後ろ手で戸を引き、ピシャリと閉めた。思った以上に強く閉めてしまったのだろう、あらあら、煩かったわねと言う声が小さく聞こえてきた。
…ん?こっちに歩いて来てる。お出掛け?わざわざ、私のお出迎えかしら?…何?お菓子かな?
また沢山届いたのかも知れない。

「…逢生ちゃん。遅くなったのね、おかえりなさい。…夜になると寒いわねぇ」

そう言ってからゆっくり近づいてくると、耳打ちをするように続けて囁いた。

「あのね、お客様よ」

「え?ただいま百子さん。…え?お客様って…私に?
あ、百子?」

返す私の声も自然と小さくなった。お菓子じゃなかったのね。私の体に手を回すようにして、また少し後戻りをさせるように部屋から更に離された。

「そう。逢生ちゃんのお部屋の前にずっと居たみたいだったから、私が声を掛けたの。早くから長い時間居たと思うから、この部屋に用なの?って。約束をしてるようには見えなかったから。だってね、ずっと居るんですもの、だから一方的なお客様なんでしょうね。だから、うちに入ってもらってお茶を飲んでもらってるのよ」

「え。あ、の…」

百子さんはゆっくり頷いた。

「うんと親しい知り合いではないのでしょ?逢生ちゃんに会いに来たのなら、普通は連絡してから来るでしょうからね」

まあ、そうだ。いきなり訪ねて来る人はまず居ない。私が知らない人か、連絡先を知らない人、知らせて来たら拒否したくなる人…招かざる客、て言いたいんだ。…あぁ。
…段々…会いたくない人…会わなくてもいい人が浮かんで来た。でも、それって…まさか、だ。なんで……わざわざ…。

「は、い。あの…、お世話をお掛けしました。それでその人、女性、でしょうか」

「そう。とてもお若いお嬢さんよ」

…百子さんの表現する『お嬢さん』には幅がある。だけど…。これできっと……そうだと思った…。

「このままうちでお話しする?それとも逢生ちゃんのお部屋に」

…。

「…百子さん」

「はい?」

ゆっくりした返事。優しい、労わるような表情だ。何も知らないだろうに、百子さんの顔は…何もかもお見通しって感じに見えた。

「有り難うございました。どこか、お店にでも行こうと思います」

自分の部屋では話したくない。この部屋に上げたくないと思ってしまった。

「そう?では、声を掛けて呼びますよ?」

「…はい。あ、百子さん、後で…帰って来たら」

あ、遅くなるかも知れないか…。

「明日にでも話しますね」

「はいはい、構わない程度にね…。落ち着いてね?逢生ちゃん」

ゆったりと話す百子さんの言葉は私に冷静さをくれた。…ふぅ。どうしようもなくざわついて、ザラつきそうな心が穏やかに均された気がした。とにかく、落ち着かなくちゃ。あの人だって、わざわざ来たって事は私に話しておきたい事があるんだろう。
きっと、中に居るのは『彼女』だ。
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