スーパームーン
これでも20代の頃は、地元のイベントで
美人コンテストに名を連ねるほどの容姿だった自分が
40代に突入した途端この豹変ぶり。

何か特別なことをした訳でもない。
にもかかわらず、半年前から急に体重が増加しはじめた。
それと並行して、血糖値が上がり高血圧になった。

いわゆる生活習慣病ですね。
何かストレスを感じることはありませんでしたか。
一般的に強いストレスが原因で、こういった症状が見られます。

二代目で若いかかりつけ医は、迷いもなく診断した。

確かに強烈なストレスがあったことを否定できない。
2年前、10年間の結婚生活にピリオドを打った。
時間があろうがなかろうが、お金にまつわるセミナーへ出かけては
やれ株式投資だ不動産だと豪語した挙句に
買った株はことごとく下がり塩漬け状態。
失敗を認めないどころかそのうち生活費も一切入れなくなった。

別れてほしいと切り出したのはかんなの方だったが、
夫はそんなかんなの気持ちを逆手にとって
莫大な慰謝料を弁護士を通じて請求してきた。

長引く調停の末。
ひとり息子の航(わたる)をかんなが引き取り、育てていくこと。
慰謝料も養育費も一切請求しない条件で、和解した。
パート勤務のかんなは生活力もないため、親権を得ることは
不可能に近い。しかし、かんなの
予想通り夫は息子を捨てた。
本当に俺の子供かどうかもあやしい。
別れてやるから、養育費は払うつもりはない。
と言い放った。

そんな過度のストレスを抱えたまま、航と二人の生活を
守るために、かんなは必死で働いた。

あけぼの商店街にあるスーパーミズノ。
離婚する前から、かんなはここで働き家計を支えてきたのだ。

住み慣れた町の商店街。
この商店街には思い出がいくつもあった。
高校時代、親友のすすめで応募したイベントで
準ミスあけぼの商店街にも輝いたことがある。

スーパーミズノの店長夫妻は、かんなの幼なじみだったから
事情をまるごと受け入れ、母子を温かく見守ってくれている。

パートのレジ打ちから社員に昇格するため、S検(スーパーマーケット検定)の
受験をすすめてくれたのも、店長の妻である咲子さんだ。バーコードチェッカーとしての力量を評価してもらうための「チェッカー技能検定」や流通業に携わる者として知っておくべき基礎知識を証明する「ベーシック2級」にも合格。
お陰で社員となったかんなは、ひとり息子の航の進学費用を捻出する目標も叶えた。
さらに実力をつけて、次は「マネージャー級」を受験する予定だった。「マネージャー」級に合格すれば管理者として人のマネジメントに携わることができる。
そうすればお給料も今の倍になるから、大学進学を目指す航の背中を押してあげられるのだ。母親としてなんとしても頑張らなければ。家事を終えた深夜、航の寝息を聞きながら
かんなは何度も見返してボロボロになったテキストを飽きることなくページをたどった。

そんな日々が生活習慣病の原因になったのだろうか。
食事の量を控え、毎朝、ウォーキングをしてみた。確かに足や手は、やせたような気がする。
でも、体重は一向に減る様子もない。寝ても休んでみても疲れは取れず、体が鉛のように重くなっていく。そのせいか動悸が早くなった。

ある日、机の上に開きっぱなしになった航のノートを見ると
丸い大きな月のイラストの横に、お前のかあちゃん。月子さん。といたずら書きがあった。
かんなはふーっとため息をつくと
「好きで月子さんやってるわけやないよ」とつぶやいた。
「人のノート勝手に見るな。」いつの間に帰ったのか、航が立っていた。
「勝手に見てないよ。開いてたから見えたんや。学校でこんなこと言われてるんか。」
「何も言われてない。」航はこぶしをぎゅっと握りしめ俯いた。
「どないしたん?制服汚れてるし、その顔腫れてるやん。殴られたんか?」
「違う。転んだだけや。」
本当は、ノートのいたずら書きには続きがあった。
お前のかあちゃん。もと準ミスあけぼの商店街。
離婚して、立てば電柱。座ればビヤだる。歩く姿はドラム缶。ミスデブ。

「なんでそんなウソつくの?かあちゃんは、航のためにがんばってるんや。なんでわかってくれへんの。徹夜で勉強するのも、S検に合格するのもみんな航のためや。そやのに、あんたはこんな遅い時間まで連絡もせんと帰って来ないし。その理由も話してくれへん。」
「わかってないのはかあちゃんの方や。しんどいのはかあちゃんだけやない。俺、父ちゃんが好きやったのに。父ちゃんは俺のこと嫌いやったんやろ。S検合格したくらいで偉そうに言うな。」
「航は、そんな風に思うてたんか?」
「うるさい、ばばあ」航は言い捨てると、抱えたカバンを床に叩きつけた。
その振動でかんなは思わずよろけて床にドスンと倒れ込んだ。立てない。立ち上がれない。

「かあちゃん、かあちゃん。しっかりして。ごめん。」
朦朧とする意識の中で、かんなは
「ごめんな、航。こんな母ちゃんで。」
「母ちゃんはいっつも肝心なときに踏ん張れへん。だから準ミスあけぼのなんや。
あのコンテストの時も、緊張して自分の名前さえちゃんと言われへんかった。
だから二番や。一番にはなれへん。かあちゃんの悪いとこマネせんといて。」
「違う。違うんや。これ紹介状。あけぼの商店街の枕木クリニックの先生に頼んで書いてもろた。」

かんなは真っ暗だった視界がゆっくりと明るくなるのを感じた。まだ、間に合う。大丈夫。
遠くからそんな優しい声が聞こえた気がした。

「俺、毎日図書館に通って調べたんや。母ちゃんの病気。そしたらそしたらな。かあちゃん。こんなごっつい本にかあちゃんとそっくりの症状が書いてあったんや。クッシング病。」
「クッシング病?」
図書館で手に取った「家庭の医学」という本には、脳の下垂体と言う場所に腫瘍ができることが原因で生じる病とあった。中学生の航には脳下垂体という言葉も腫瘍という症状も到底想像がつかない。だから、商店街のはずれにある枕木クリニックを思い切って訪ねたのだ。
今はひとり息子の太郎が診療しているが、航やかんなは太郎の父・貞夫にかかりつけ医としていつも相談にのってもらってきた縁がある。今回もたまたま在宅していた貞夫が、成長した航をまぶしそうに見つめて病気についてわかりやすく説明してくれたのだ。
「そう。その病気のこと、枕木先生に聞きに行ったんや。貞夫先生感心してた。医者でも判断が難しい病気のことよう気がついたって。だから、かあちゃん。この紹介状をもって橋を渡ったところにあるあの大きい病院へ行こう。あそこに行ったら、脳のレントゲン写真をとってくれる。かあちゃんの病気、きっとよくなるから。」
「よくなるやろか?」
「大丈夫。かあちゃんには俺がついてる。それに、俺、いじめてきたやつに言い返してやった。月は月でも俺のかあちゃんは、スーパームーンや。スーパームーンはどんな願いでも叶えてくれる幸運の月やって。」
「ありがとう。航。」
「だから、かあちゃん。がんばって。かあちゃんを待ってるスーパーのお客さんのためにも元気になって。」
かんなの目から涙が一筋流れた。

深夜テレビのニュースの声が「明日は満月です。歴史的な月がみなさんの街を明るく照らすことでしょう。」と告げていた。
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