「安樹?」
安樹が突っ伏したまま動かなくなったので、側に屈みこんで軽く揺さぶってみた。
「寝ちゃったみたいだね」
普通の大学生よりは酒に強いが、ある一定の量を飲むと安樹はあっけなく眠ってしまう。
頬を真っ赤にして眉を寄せている安樹はキスしたくなるくらいかわいい。頭をぎゅっと抱いて、よしよしと頭を撫でた。
「少し寝かせてくるね。隣の部屋借りていい?」
「あ、いいよ」
「寝顔かわいいね、春日さん」
バスケ部が使っていた個室に運ぼうとすると、竜之介が前に立ちふさがった。
「運ぶ。貸せ、美晴」
はぁ、と呆れたようにため息をついた。
竜之介の耳元に口を近づけて、皆に聞こえないように囁く。
「どけ、カス」
肩を押しやって道を開くと、安樹を抱いて隣室の畳に寝かせる。おしぼりで顔を拭ってあげると、安樹は少しだけくすぐったそうに口元をむずむずさせた。
「また無茶して。しょうがないな、安樹は」
金よりも淡い薄茶の髪を手に絡ませる。しっとりとしていて手に甘えるそれは、俺だけが触れられると思うと優越感が胸に満ちる。
「俺の家に来てもらう。勝負は俺の勝ちだからな」
すだれがかきあげられて、竜之介が入ってくるなり言う。俺はそれに片眉を上げて薄く笑った。
「勝ち? 勝負はこれからだろ」
ちょうど店員が入ってきた。その盆の上には、ジョッキが三つ。
「ここでいいんですか?」
「うん」
俺は微笑んでジョッキを受け取ると、一気にそれを煽る。
「げっ」
店員が驚いたのは当然だ。これは普通一気飲みするものじゃない。アルコール度五十近いのだ。
一番強いのを頼んでおいた。これ一つで安樹が飲んだ分を十分超える。
「これで差はないだろ。俺が安樹に引き継いで勝負を受けるよ」
「……お前と勝負するつもりはない」
竜之介は難しい顔で呟く。
「お前は底なしだ。三年も前からわかってる」
「受けろよ。俺の気が収まらないんだ」
俺は竜之介の胸倉を掴んで、にやりと笑いながら顔を寄せる。
「よくも安樹に酒なんて飲ましてくれたな。いつからお前は俺に断りなく安樹を家に呼べるような身分になったんだ?」
腸が煮えくり返るような思いを抑えながら、俺は竜之介の襟を締め上げる。
「俺は言ったよな? 俺に何か一つでも勝てるまでは、安樹に近寄るなって。お前、勝てたんだっけか?」
「……まだだ。だが」
「だから寛大な俺はお前にチャンスを与えてやろうっていうんじゃないか。ジョッキを取れよ」
竜之介は渋っていたが、ゆっくりと首を横に振る。
「最初から勝敗がわかっている勝負は受けない」
「そっか。まあ、そのくらいの賢さはあるんだな。褒めてやるよ、リュウ」
俺はジョッキを置いて安樹を背負いにかかる。
「せめて家まで送らせてくれ」
懲りずに言ってくる竜之介に、俺は冷ややかな眼差しを投げかける。
「またその手、折られたいか?」
答えを聞かずに俺は安樹を背負って立ち上がった。
立てばわかるが、俺は竜之介とほとんど背が変わらない。俺の背は百八十七で、安樹より十センチ以上高い。……安樹にはまだ、小さくてかわいいように見えているのかもしれないが、俺の体格は立派に男のものだ。
竜之介は後をついてきて、俺に言ってくる。
「美晴。お前がどう邪魔をしても、安樹には一度実家に来てもらう必要があるんだ」
俺はそれを無視しながら店を出て、繁華街を歩き出す。
「親父も幹部も、安樹は家に引き取る方向でまとまってるんだから」
禍々しいネオンが眩しい。その中で安樹の温もりだけが優しい。
ふいに露骨にその筋と思われる男たちの団体が前から近づいてきた。道を占領するように中央を広がって歩いてくるので、俺はその顔ぶれを確認してわざとよけずに真っ直ぐ進む。
「坊主。痛ぇじゃねぇか」
どん、とぶつかったところで、真ん中のスキンヘッドの男が低い声を出した。俺はそれにうろんな目を向けて呟く。
「オッサン。今安樹に触ったな?」
俺は道路脇に安樹をそっと座らせて、向き直る。そしておもむろに目の前の男の鳩尾に蹴りを叩き込んだ。
「こいつっ」
不意をつかれて男は吹き飛ばされる。次々と伸びる手から俺は身を沈めて避けると、まず近くにいる男を裏拳で飛ばして、ついでに後ろの奴の急所を蹴り上げた。
「やめろっ」
竜之介から制止の声がかかる。男たちはそれに止まる様子はなかったが、最初のスキンヘッドの男が竜之介の顔を見て血相を変える。
「……坊ちゃん?」
近くの奴の頭を殴って黙らせると、手で頭を下げさせながら竜之介に四十五度の礼を取る。
「すみませんっ。お見苦しいところを」
「そうだな。家の者の躾くらいちゃんとしとけよ、リュウ」
俺の言い様に男が目を怒らせたが、竜之介はすぐに言葉を重ねる。
「春日の双子だ。従兄弟の。親父が言ってたろ」
さっと男たちの顔から血の気が引く。
「じゃあそっちで寝てるのは、坊ちゃんの許婚の安樹お嬢さんですか」
その言葉に、俺の胸の奥に火が灯った。
「がっ……うぐっ」
男の腕を斜めに捻り上げながら、俺は顔を寄せる。
「誰が許婚だ。安樹はどこにもいかない」
ギリギリと締め上げながら、俺は低い声で告げる。
「安樹には、一生汚いものに関わらせるつもりはないんだよ」
俺は幼い頃の誓いを思い出していた。