そういえば最近、すごくためになる話を聞いた。

 何事にも因果関係があり、突然起きたと思った出来事も実は何か前兆があるということだ。

 それにならって、どこから私の日常がおかしくなったのか、ひとつ遡って考えてみるとしよう。

 一昨日の夕方、私はバスケ部の練習が終わって体育館の外で休憩していた。

「あすちゃん、おつかれさまっ」

「ありがとう」

 満面の笑顔でミハルが渡してくれたタオルで汗を拭いながら、スポーツドリンクをごくごくと飲む。

「よう相棒。おつかれ」

 そして遅れて体育館から出てきた友達に声をかける。

 ショートカットの金髪に赤い眼鏡、そして青のピアスというロックないでたちを高校の頃から崩さないのは、私の友人の由衣だ。

 彼女は無言で私の前まで歩いて来て、いきなり私の頭に拳骨を落とした。

「あんた、あたしの頭にボールぶつけんじゃないわよ。何年バスケやってんの?」

私と同じくらいの長身でかなりの美人だが、彼女の一番の魅力はその地を這うような怒声かもしれない。

「だって、由衣が余所見してたからじゃないか」

「言い訳すんな。あたしの頭はあんたより百倍有意義な知識が詰まってるのよ」

「あー、わかったよ。ごめんって」

 ひらひらと手を振って苦笑いしたら、由衣は気に入らなさそうに私の頭上で拳を握る。その手を慌ててミハルが掴んだ。

「そこまで。ゆーちゃん。あすちゃんに痛いことしちゃだめ」

「じゃああんたが代わりに殴られる? 美晴」

「うん。そうして」

「阿呆」

 由衣はあっさりと手を離してあきれ顔になる。

 何かと言葉がきつく手の早いところはあるが、由衣はいい奴なのだ。私が本当に嫌なこと、ミハルを傷つけるということは絶対にしない。

 夕暮れの赤い日差しの中、私はふと口を開く。

「なあ、由衣。さっきの試合中、どうして観客席の方見てたんだ?」

「そうそれ。寒気を感じたのよ」

 由衣は体育館の別の出口の方を指さす。

 ちょうど男子の方の練習が終わって、幼馴染の竜之介が出てきたところだった。その竜之介の後ろを、ちょこちょこと小さな子がついていく。

「リュウちゃんのファンの子だね。最近いつもいる」

 ミハルは何気なく頷く。

 その子は私の胸くらいの身長しかない、中学生くらいの女の子のようだった。なぜか黒いサングラスをかけて、全身に黒服を着こんでいる。

「スパイごっこみたい。かわいいなぁ」

 微笑ましくて私が思わず頬を綻ばせたら、由衣は眉をひそめる。

「あいつはやばいわ。寒気が収まらないの」

「由衣が寒気?」

 高校の頃からたびたび、由衣はそのフレーズを口にした。

「由衣のお義父さんに似てるの?」

「義父じゃないって何回言ったらわかるの。会長さんは母さんの恋人であってあたしとは何の関係もない」

「また由衣は」

 由衣の両親は幼い頃に離婚していて、彼女の母はもう十年以上前から「会長さん」という男の人とお付き合いしているらしい。

「会長さんは寒気がするとか、絶対あの筋の人とは関わり合いになりたくないとか言って……由衣にも優しくしてくれる人なんだろ? 自分から歩み寄らなきゃ駄目じゃないか」

「馬鹿言え。あの人らは甘い言葉で女を騙すのが大得意なのに」

「もう。かわいそうじゃないか」

 会長さんというのだから、きっと温厚なおじいさんなんだろうなと思って、私はちょっと同情する。

「それはとにかく。あたしは今、あの女の正体を掴むために色々やってる最中なのよ」

「どうしてゆーちゃんが警戒するの? あの子、リュウちゃんのファンなんでしょ?」

 ミハルがきょとんと首を傾げる。私も同じ方向に首を傾げた。

「あたしの日常を乱す可能性がある者は早めに対処しておきたいのよ。何事にも因果関係がある。突然の出来事だと思っていても、何かしらの前兆があるものなんだからね」

 へぇ、と私は頷いて何気なく呟く。

「由衣は賢いなぁ」

「あんたが馬鹿なだけよ」

「うっ」

 由衣の容赦のないひと声が私にクリーンヒットした。

「だから。安樹、あの女には近付くな」

「え、そこで何で私に矛先が向くんだ?」

 びしっと私を指さして、由衣は断言する。

「あたしの日常が乱れる大方の原因はあんたにあるんだから」

「それでもゆーちゃん、あすちゃんの友達はやめないんだよね?」

 ミハルが可愛く笑って告げると、由衣は鼻で笑った。

「あんたにあたしの立場はわからないわよ」

「んー、それにしても。なんか、あの子どこかで見たような……」

 私が首を傾げて女の子の方を見やった時だった。

 黒服の女の子が竜之介に手を払われて地面に倒れる。その決定的瞬間を、私の両目2.0の視力が捉えた。

「なんてことをっ」

 私はほとんど反射的に女の子の方に走る。

「おい、言ったそばからっ」

「まあまあ。ゆーちゃん落ち着いて」

 背後に由衣の怒声とミハルのおっとりした声を聞きながら、私は黒服の女の子の元まで辿り着く。

「竜之介っ。こんな小さい子に何するんだっ」

 地面に手をついている女の子に怪我がないか確認しながら、私はぎっと竜之介を睨みつける。

「ううん、りょうが悪いの……」

 ふいに私の手を掴んで、彼女はサングラスを外した。

 途端に露わになったくりくりした目と、幼くて甘い顔立ちに、私は衝撃を受ける。

 その、胸がぎゅっと締め付けられるような、小動物そのものの愛らしさ。

 私はごくりと息を飲む。

「……よ、美峰りょうちゃん?」

 間違いない。もはや絶滅しかかっている人種であるアイドル、美峰(よしみね)りょうちゃんだ。

 今年の栄えある守りたくなる女の子ナンバーワンの座を獲得したという可憐さもさることながら、バラエティでの数多くの空気読めない発言、ドラマでのすさまじい棒読み具合、電波ソングにも打ち勝つ音痴さなど、その話題性は絶えることがない。

「すごいや。あなたのファンなんですっ」

 私が勢い込んで想いを告げると、彼女はほわほわした笑顔を浮かべた。

「ありがとう。りょう嬉しい」

 彼女の魅力は、見る者に「かわいければもう何でもいいや」と思わせてしまう圧倒的なかわいらしさなのだ。

「待って、竜之介君っ」

 つい彼女にみとれて事態を忘れていた私の横で、りょうちゃんは竜之介の袖を掴んで引きとめる。

「離せ」

「いやっ。竜之介君がりょうを許してくれるまで帰らないっ」

 ふるふると首を横に振って、りょうちゃんは潤んだ瞳を竜之介に向ける。

「勝手にお写真撮ったのは謝る。ほら、返すからっ」

「要らん。お前が永遠に俺の前から消えてくれればそれでいい」

「そんな……っ」

「竜之介っ」

 震える手で写真を握りしめているりょうちゃんの前に入って、私は竜之介に詰め寄る。

「何て言い草だ。なんだ、写真を撮られたくらいで大人げない。りょうちゃんは肖像権を放棄する覚悟でお仕事してるんだぞ。一枚や二枚くらいツーショットをあげればいいじゃないか」

「お前は俺が差別的だとか散々言うが、お前自身はどうなんだ?」

 胸倉を掴んで睨む私に、竜之介も睨み返す。

「そいつがしたのは隠し撮りだ。それも一度や二度じゃない。それも女がやれば許されるっていうのか?」

「そうじゃない。小さい子が興味本位でやったことにつべこべ言うなってことだ」

「よく知りもしないくせにお前が口出しするな、安樹」

「間違ったことだと思えばくわしく知らなくたって止めに入るさ。当然だろ」

「あーすーちゃん?」

 竜之介と鼻先が触れるくらいの至近距離で睨み合っていた私は、ふいに後ろに反転させられる。

 振り向いたら、ミハルが困ったなぁという顔で立っていた。

「ここでハーフタイム」

 ぺと、とミハルは私の頬に自分のほっぺたをくっつけた。そのなじみ深い温もりに、私の尖っていた心が和む。

頬を寄せたまま、ミハルは竜之介に聞こえないくらいの小声で私に言ってくる。

「リュウちゃんとは何を話しても平行線だってわかってるでしょ? 深呼吸して、ちょっと落ち着いてごらん」

「う、うん」

 ミハルに言われるままに私が深呼吸すると、彼は優しく微笑んでから竜之介に振り向く。

「リュウちゃん。とりあえず僕たち三人で話し合ってから結果を伝えるから。少し体育館の中で待っててくれる?」

「……」

 竜之介は一瞬目を細めたが、小さく頷く。

「いいだろう」

 そう言って体育館の中に入っていく竜之介を、ミハルは手を振って見送った。