月歌~GEKKA
第三章 これが恋ってヤツですか?
ハロウィンが終わり、街がクリスマスムードに色付く頃、玩具売り場は戦場と化する。
「柊!売り場の商品、在庫確認したのか?」
ストック置き場に入るなり、森野さんが私に叫ぶ。
「あ、今行きます!」
慌てて売り場へ行こうした私の背中に
「言われる前にやれ!この時季は、いちいちお前の面倒を見る時間無ぇんだから!」
森野さんの怒号が飛んで来る。
私も最近、やっと幾つかのメーカーを任されるようになった。
私の担当はピクチャーパズルと知育玩具。
売り場に行くと棚に品物が無い所が幾つもあり、慌ててストック置き場から商品を持って来て陳列する。そんな中
「あの……」
と、小綺麗なママさんが森野さんに声を掛けているのが目に入った。
すると、普段の鉄仮面が嘘かと思う程の笑顔を浮かべて
「はい、何かお困りですか?」
って、ママさんに答えている。
まぁ……ぶっちゃけ、初めて見た時は自分の目を疑ったよね。
いつもムスッとした鉄仮面が、接客となると爽やかスマイル全開な訳ですよ!
そんな笑顔が出来るなら、少し位は私等にも笑顔を見せろ!って感じ。
商品説明を受けているママさんは、森野さんの本性を知らないから、森野さんの説明に頬を赤らめて聞いている。
それを見ていた私は、何故かイライラした気持ちを押し殺し、足りない商品を取りにストック置き場へ戻った。
すぐ売り場に出せるストックが無くなりダンボールを空けて商品を出していると、爽やかスマイルを浮かべていた森野さんが戻って来た。
ストック置き場の中を見回すと、杉野チーフを見つけて駆け寄り
「杉野チーフ、今度のセールの仕入れなんですが……」
と言いながら、今回は○○が売れ筋になるかもしれない。
とか、売れ筋になると思っている○○は案外そうでも無いのかもというように、仕事に対して物凄く熱心なのだ。
杉野チーフもそれが分かっているから、森野さんの発言には結構重要視している。
不良品が来れば、商品を確認して壊れやすい部分やどんな商品なのかを確認し、戦隊モノの新発売を確認する為だけに毎週テレビでチェックしている。
メーカーさんは新商品の発売日を前もって教えてはくれない為、テレビで確認するのが一番手っ取り早いらしい。
なので、うちの売り場で商品知識が高いのは森野さんなのだ。
いくら赤ちゃん用品を扱っているお店とは言え、相手は女性が多いので森野さんが声を掛けられる率が高いというのも要因の一つらしい。
「真面目やし、男前やからママさんのファンが多いんやで」
って、いつだったか店長が言っていたのを思い出す。
実際、森野さんと仕事をするようになって、販売員はただ品物を出して売れば良いとは考えは無くなった。
お客様が何を求めているのか?
今年はどんな物が人気があるのか?
女子では?男子では?
年齢によって勧める物も変わって来る。
森野さんのポケットにはいつも小さなメモが入っていて、気になった事や気が付いた事などをメモしているのも知っていた。
だからなのか、交渉が一番難しいメーカーを任されているのだ。
「森野君って…本当にこの仕事が好きよね」
いつだったか、杉野チーフが森野さんに呟いた。
すると森野さんは
「好き…とは違います。ただ、此処は笑顔が溢れているから…その笑顔に答えたいだけです」
売り場を駆け回る子供や、サンプルの玩具で遊ぶ子供たちを見て微笑んで答えた。
「ふふふ…、それが好きって事だと思うけど」
杉野チーフがそう言うと、森野さんはバツが悪そうに顔を歪め
「俺はあなたが本当に苦手です」
と呟いた。
「あら!私は森野君の事、大好きよ」
親し気に話す二人を見て、心の奥がザワザワとざわめいた。
小さくて細くて、ふわふわした優しい雰囲気の杉野チーフ。
私の大好きな上司なのに…なんでこんなに胸がざわつくんだろう…。
思わず手を止めて二人を見ていると
「おい、柊…。お前、ぼんやりしてる暇があるんなら手を動かせ!」
と怒鳴られる。
私にはいつも怒った顔しか見せないのに、杉野チーフには色々な表情を見せる。
そんな事ばかり考えて、複雑な心境でテープ貼りをして品出しをしていた。
嫌いな筈なのに、森野さんの一挙手一投足が私の心をざわつかせる。
きっと、カケルさんに声が似ているから…?
幼い頃に出会っただけだから、顔はぼんやりとしか覚えていない。
可愛らしい少年のような顔だったように記憶している。
とはいえ、別に私はずっとカケルさんが好きだった訳ではない。
学生時代には彼氏と呼ぶ相手もいた。
でも、私の心はいつも幼い頃に心を奪われたあの「声」を求めていた。
両親の離婚、転居、受験に就職と母親の再婚
様々な事があっても乗り越えられたのは「カケル」さんの声があったから。
だからきっと、森野さんの声がカケルさんに似ているからだと自分に言い聞かせていた。
でも…視線が、心が森野さんを探している。
ぶっきらぼうで愛想が悪くて口も悪い。
良い所を見つけるよりも、悪い所の方が簡単に見つけられるような人なのに…。
どうしてこんなにも私の心をかき乱すんだろう。深い溜息を吐いていると
「こら!溜息は幸せが逃げるんだぞ~」
杉野チーフが私の顔を覗いて微笑む。
私とは対照的な可愛らしい女性。
「何かあった?」
閉店後の店舗、残業で仕事をしていると杉野チーフが私に並んで品物を並べながら聞いてくる。
「いえ…何も…」
ぽつりと返事をした私に、杉野チーフは小さく笑い
「森野君の事?」
そう訊ねてきた。
慌てて私が首を横に振ると
「柊さんって、分かりやすいよね。」
と言うと
「最初は大嫌いだった。でも…段々、気になり始めてしまっているって所かな?」
そう私に微笑んだまま呟いた。
「まぁ、嫌いは好きの裏返しって事もあるしね」
杉野チーフは言いながら、綺麗に整頓された売台から離れて歩き出す。
「柊さん、ちょっと来て」
私の返事も待たず、階段を下りて行く。
事務所の前に着くと、店長が誰かと話しているのが聞こえる。
声の主は…森野さんだった。
「それで、ほんまに一日でええんか?」
「はい。セール期間中の一番忙しい日曜日にお休みしてすみません」
「ええよ、毎年の事やし。それより…まだ前には進めへんのか?」
店長の言葉に、森野さんが息を呑む音が聞こえた気がした。
「もうええんやないか?誰のせいでも無いんや。あれは事故なんやから」
「でも!」
店長の言葉をかき消すように、森野さんの叫びが聞こえた。
「俺が殺したんです。全ての罪は、俺にあるんです」
悲壮な声が事務所に響く。
杉野チーフは視線で階段を指すと、私は事務所の上にある食堂へと向かった。
このお店は三階建ての建物が本館で、その向かい側にある横に広い二階建ての建物がギフト館。
そのギフト館の隣にある小さな二階建ての建物が、私達従業員用の建物になっている。
一階に事務所があり、二階が更衣室と食堂になっている。
食堂のドアを開けると、杉野チーフは電気を点けて中へと促した。
森野さんの言葉が耳から離れない。
『俺が殺したんです!』
聞いているだけで胸が苦しくなる程、悲しい声だった。
多分、今、店舗で残っているのが私と杉野チーフ。
他には店長と森野さんだけなので、森野さんは私達が売り場に居ると思って話をしていたんだろう。
食堂の椅子に座ると、自動販売機から物が落ちる音が二回聞こえる。
そして杉野チーフは私に缶コーヒーを差し出すと
「森野君ね、うちの正社員じゃないの」
と、ぽつりと呟く。
「いわゆる契約社員。それは、森野君が強く望んでの事なの。
このお店の正社員になったら、何処に人事異動が出るのかが分からない。
だから、森野君はこのお店に契約社員として働いているの。
和田店長が森野君を此処へ連れて来たのは…、今から5年くらい前かな?」
杉野チーフは懐かしむように、ポツリポツリと話し出す。
「当時の森野君は荒れててね…。仕事は真面目にやらないし、愛想悪いし…。トラブルメイカーだった。」
「え!」
杉野チーフの言葉に驚いていると、小さく微笑み
「でもね、和田店長が本当に親身に接したの。私達には、何故店長があんなに森野君を買っていたのかが分からなかった。当時、下っ端の私が森野君の教育係になってね。毎日毎日喧嘩ばかりだった。」
そう続けた。
…でも、今の森野さん知らない私には信じられなかった。
「なんで変わったんですか?」
思わず尋ねた私に、杉野チーフはゆっくりと首を横に振り
「分からない。ただ、ゆっくりと変わって行った。そしていつしか、うちの売り場で欠かせない人になっていたの。」
ここまで話すと、コーヒーのプルタブを開けた。「カチン」という音と共に、コーヒーの香りが鼻孔を掠める。
11月初旬。
初冬とは言え、人気の無い食堂は少し肌寒い。
『ゴオ~』っというエアコンの音とコーヒーの香りに、私は杉野チーフからもらった缶コーヒーを両手で包み込んだ。
缶コーヒーの温もりが伝わり、ゆっくりと心がほぐれる。
「私と森野君はね、いわば戦友なの」
缶コーヒーを見つめて居た私に、杉野チーフが呟く。
「だから、私としては可愛い可愛い柊さんに誤解されて嫌われたくないんだな」
急に明るい声で言われて、私が顔を上げる。
「あの…嫌ってなんかいないです」
慌てて言う私に
「好きな人が出来ると、女性がみんな敵になっちゃうもんね」
と、杉野チーフが微笑みながら言った。
「その気持ち分かるから、大丈夫だよ」
「え?」
杉野チーフの言葉にまばたきしていると
「私もね、ずっと好きな人が居るの。大学の時の先輩なんだけどね…。
ずっと好きだったのに…可愛がってた後輩に横取りされてね。
諦めたつもりだったんだけどね、その後輩と別れたって最近噂で聞いて…。
会いたいと思うのも、傍に居たいと思うのも先輩だけなの。諦め悪いよね、私」
えへへって笑いながら、杉野チーフが恥ずかしそうに呟いた。
「人を好きになるって、自分の意思とは関係無いからタチが悪いよね。
でもね、誰かを好きになるって簡単じゃないと思うの。だから…、応援しているから」
杉野チーフの手が私の手をそっと包む。
その時、はっきりと自覚してしまった。
私は森野さんが好きなんだと。
カケルさんに声が似てるとか、そんな事は私にとってどうでも良い事なんだと。
ぶっきらぼうで…だけど真っ直ぐで仕事に真剣に向き合う森野さんの姿勢を尊敬しているうちに、尊敬から恋へと変わってしまったと気が付いた。
でも…好きだからこそ分かってる事もある。
森野さんの瞳は…誰も映さない。
心は固く閉ざされ、決して誰も受け付けようとはしていない。
カケルさんの声に惹かれた時とは違う、森野さんへの感情に戸惑う。
今まで自分がして来た恋愛は、恋愛では無かったのかもしれない。
森野さんの瞳に映りたい。
もっと森野さんの笑顔が見たい。
いつも見ている広い背中は、それを全て拒否しているように見える。
誰よりも傍に居るけれど、心ははるか遠くにある森野さんを私は好きになっていた。
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