二人の距離の縮め方~弁護士は家政婦に恋をする~
はじまり
金曜日の朝、その足取りは心なしか軽い。

山奈芽衣(やまな めい)は、自分の生活とは本来縁のないはずの、高級マンションに足を踏み入れていた。
エレベーターを使って、上階を目指す。目的の部屋にたどり着くと、礼儀的に呼び鈴を鳴らした。

「……残念」

応答がないインターフォンに向かって、小さなため息を吐きながら、バッグから合鍵を取り出す。
しかしドアノブに手をかける前に、中から開錠される音が聞こえ、ゆっくりと扉が開いていった。とたんに芽衣の心は弾みだす。

「やあ、おはよう。ご苦労様」
 
厚い扉の向こうから顔を出したのは、内田学(うちだ まなぶ)。この家の主で、芽衣の仕事の依頼主だ。

「おはようございます。これからご出勤ですか?」

いつも、芽衣が訪れる朝の九時前後には、完璧に身支度を整えている学だが、今日は、ネクタイとジャケットがまだだった。

「ああ、今日は少し遅くていいんだ」

学がニコリと微笑むのにつられ、芽衣も口元を綻ばせた。

芽衣の仕事は、ハウスキーパーだ。依頼主の自宅の掃除、買い物、ペットの世話などを代行する派遣会社に登録している。
この家には週一回、毎週金曜日に訪れる契約で、通いはじめてからもう一年になる。

家主の学は二十六歳で、職業は弁護士。独身で、一人でこのマンションに暮らしている。
依頼内容は、部屋の掃除や日用品の買い物だが、学は真面目で几帳面な性格らしく、いつ訪れても、部屋はそれほど散らかっていない。芽衣の受け持つ顧客の中では比較的楽な仕事と言ってもいい。

一度、やることがないから、契約時間を短くすることを提案したことがある。そのほうが料金が安く済むだろうから。しかし、学はそれでは芽衣の給料が減ってしまうだろうと、あっさり断ってきた。「時間が余るなら、ここで宿題でもしていればいいよ」と。
 
それは、大学の二部に通いながら仕事をしている芽衣への同情かもしれないが、見下されているわけではないと思えた。気取ったり偉ぶったりする事もない、気さくで優しい理想的な顧客だった。
< 1 / 26 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop