COLORFUL(短編)
ヘッドホンからお気に入りの曲が響く。初夏の空は橙色が差し込み始め、頬を撫でる風は穏やかだ。駅前広場のベンチに座り、行きかう人波を眺める。下校途中に談笑する高校生、忙しそうに足を進める会社員。例えるなら時計の歯車。それぞれが役割を持ち、動いている。
 変わり映えのしない日常。あの頃と何が違うというのか。自分に無い物を求めて上京し、『何か』を期待した大学生活。しかし、心のキャンバスが色付くことはない。授業は上手くついていけないし、始めたバイトも失敗続き。正直、疲れていた。……帰ろう。どうせ、明日も明後日も、退屈は続いていくのだから。溜め息交じりの息を大きく吐き、重い腰を上げた。

 怠い体を動かし、駅のホームへ向かう。すると、途中に不自然な人だかりを見た。有限の時間が流れていく中、何を見ているのだろうか? 不思議な好奇心に駆られるまま、集団に溶け込んでみる。
 複数の視線が集中する先にいたのは、年の近そうな一人の少女。背中まである髪を風に揺らし、サックスを大事そうに持って譜面台の前に立っている。……ストリートミュージシャン。非日常を願う者にとっては、旅の途中にここを訪れた吟遊詩人のように見える。一体どんな|詩(うた)を人々に聞かせてくれるのだろう? 耳を|塞(ふさ)ぐサウンドを聞きながら、目つきの悪い双眼で少女を捉える。

 胸に当てた手、吐いた大きな息。譜面をめくると、彼女は音を伴った息を吸い込んだ。


 ――瞬間、時が止まる。カラフルな旋律の独奏曲が、幾重の調べとなって鳴り響いていく。


 無色の風景に差し込み始めた色彩。感じる胸の高鳴り。雑音から逃れる為のヘッドホンも、自然と外れている。技術の高さではない。ただ、彼女の紡ぐ楽し気なメロディに、惹かれていた。



 背を照らしていたオレンジは黒に。いつの間にか辺りは、街灯や建物から漏れ出た光で照らされている。
 周囲にいた人だかりも|疎(まばら)。数人が残っていたが、演奏を終えた詩人がお辞儀をすると、適当に小銭を投げ込んで去っていく。止まっていた歯車を動かすために。
 彼女を見ると、持てる限りの全力で演奏したのだろう、肩で息をしている。少し寂しげな顔色と共に。多分、欲しかったのは違う称賛なのだろう。だから、なけなしの500円玉と惜しみない拍手を贈る。魅力的な|詩(うた)を聴かせてくれた詩人に。

 たった一人の歓声。だが、サックスを胸に抱えた彼女の表情は明るくなる。
 ……二人の間を吹き抜ける爽やかな夜風。|靡(なび)く彼女の髪。気付けば、声を掛けていた。

「明日も、ここで?」

 問いかけに目を丸くする少女。まあ、初対面の相手にいきなり話しかけられたら驚くよ、な……。軽く頬を掻きながら返答を待っていると、彼女は大きく|頷(うなず)いてくれた。

「また来て良いですか?」

 なんでこんなことを聞いたのか、よく分からない。来たければ勝手に来ればいいはずだ。だけど、色彩をくれた吟遊詩人の調べを無断で聴いてはいけない気がした。自分の心模様についていけず、微かに抱いた恥ずかしさ。どうにか隠しつつ、逸らした視線を向けると、彼女は笑顔で大きく首を縦に振ってくれるのであった。



 一月が経った。もはや、彼女の|詩(うた)を聞くことは日課に、楽しみになっている。どんなに天候が悪くても、必死に紡ぎ続ける吟遊詩人。その姿に、日に日に足を止める人の数は増えている。梅雨の時期特有の曇天の下、今日もサックスと譜面台を準備する少女がいた。

「こんにちは」

 不器用な笑顔を見せながら、手を振る。すると、彼女はにこやかな笑みを浮かべながら手を振り返してくれた。毎日顔を合わせる中で、いつしか簡単な挨拶をする間柄に。一言、二言、こちらから話しかける程度だが、それでも童心に帰ったように嬉しかった。
 最前列、定位置と化した詩人の前。演奏開始を待つと、通りすがりの人達が足を止め始める。集客になっていると勘違いしそうだ。腕時計を確認していると、準備を終えたのか、彼女は譜面台の前に立つ。そして、いつも通り胸に手を当て、大きく息を吐いた。
 しかし、鮮やかな調べよりも前に、滴が頬に触れる。空を仰ぐと、灰色の空から無数の水滴が音を立てて降り始めていた。雨だ、しかも土砂降りの。突然の強い雨に、集まっていた観客達は逃げるように散っていく。
 梅雨とはいえ、今日の天気予報は曇り。予想外の雨に詩人は呆然としていた。

「とりあえず、屋根のある所に行きましょう」

 雨に打たれたままでは、二人とも風邪を引いてしまう。置かれた譜面台とケースを持ち、彼女の手を引いて近くのベンチに駆け込んだ。

 激しさを増した降水が屋根に当たり、雨音となって反響する。鼻に抜けるのは、特徴ある湿り気のある匂い。駆け足で避難したが、思いの外濡れてしまった。隣にいる彼女も天候の急変に落ち着きがない。水滴が背中まで伸びた髪を伝い、ポタポタと。女の子をこんな状態のまま放置してはいけない。急いで鞄からタオルを取り出した。

「良かったら使ってください」

 笑顔と共に差し出したタオル。だが、彼女は奪うようにして受け取ると、普段の柔和な様子からは想像できない険しい表情で、サックスを拭き始めた。楽器は濡らしてはいけないと聞いたことがあるが、ここまで焦るのか……。見たことない一面、呆気に取られていると、応急の処置が終わったらしい。濡れた髪や服を気にすることなく、サックスを口に当てた。

 奏でられたのは七色の音階。どこか、懐かしさを感じる。

 素人には分からないが、正しく音が出たのだろう。彼女は大きく息を吐きながら胸を撫で下ろす。顔色からも険しさは消え、微かな笑みを見せる。

「……大丈夫、ですか?」

 毎日会っているとはいえ、関係は演奏者と見物客。楽器のことも、彼女のこともよく分からない。少し緊張しながら会話を持ちかけてみると、詩人は慌てた様子で何度も頭を下げてきた。

「そ、そんなに頭を下げないでください。ほ、ほら、髪とかも濡れたままですよ」

 楽器に意識が集中するあまり、彼女は自分のことが見えていなかったらしい。慌ただしく髪を拭こうとするが、手に持ったサックスをどこに置こうか迷って、テンパっている。こう言っては申し訳ないが、どうしようかと迷っている姿が可愛らしくて、つい笑みがこぼれてしまう。

「一度ケースに仕舞って、落ち着きましょうか」

 ベンチに置いてあったケースを手渡すと、彼女は手早くサックスを収納して閉じる。そして、貸したタオルで髪などの濡れたところを拭きながら、ベンチに腰掛けた。……落ち着いてくれたのかな? 心配の眼差しで見ていると、彼女は「貴方も座ったらどうですか?」と言わんばかりに隣の空いたスペースを二回ほど叩いた。……ここは、お言葉に甘えるか。若干の|躊躇(ちゅうちょ)もありながら、誘われるように隣に腰を下ろした。

 さて、隣に座ったは良いが、何を話そうか? 激しく降り続く雨と自然が奏でる交響曲を感じながら悩んでいると、彼女が肩を叩いてきた。なんだろうと振り返ると、向けたのはスマホの画面。何やら、文字が打ち込まれている。

『タオル、ありがとうございました! おかげで楽器も濡れたところも拭けました!』

 書かれている文面は、お礼の意思表示。けど、どうしてスマホ? と首をかしげていると、彼女はもう一度何かを入力して見せてくる。

『私は、生まれつき声が出せないんです。だから……、こうすることでしかお話しできません』

 声が出せな……い? 唐突に突き付けられた真実に上手く返すことが出来ない。確かに、彼女の声を聞いたことは一度もなかった。勝手に、そういうスタイルでやっているのだとばかり。……何か言わないといけない。しかし、何て言っていいのか分からなかった。

『いきなりこんなこと話して、ごめんなさい。でも、貴方になら話してもいいかなって思ったんです。毎日聞きに来てくれるし、今日だって優しくしてくれました。ホント、ありがとうございます!』

 再度向けられるスマホの画面。|綴(つづ)られているのは謝罪と感謝。純粋に向けてくれる感情。……口ごもっているわけにはいかない。きちんと、答えてあげないと。

「こちらこそ、ありがとうございます」
『え? どういうことですか?』
「えっと、救われたんです貴方の演奏に。魅力的で、惹かれる旋律に。ずっと聴いてたいと言いますか……」

 我ながら何を言っているのだろう。恥ずかしさを隠すように頬を掻く。
 今の言葉、彼女はどう受け止めたのだろう。気になって背けていた顔を向けると、思った以上に赤くなっていた。

『あ、ありがとうございます……』

 赤面する顔を見られないようにしているのか、目前までスマホを突き出された。

「い、いや……お礼はこちらの台詞で……」

 女の子にこういう反応をされるのは初めてで、対応に困りながら小さく呟く。すると、彼女は一度スマホを戻して何かを打ち込んだ後、再び突き出してきた。

『あ、あの! 良ければ連絡先交換しませんか! 私で良ければ、仲良くしてください!』

 スマホを持った両手を震わせながら、目を閉じ、祈るように返事を待つ彼女。きっと、精一杯の勇気を出してくれたのだろう。顔見知りとはいえ、ちゃんと話したのは今日が初めて。しかも相手は男だ。そんな相手にどうして彼女が踏み込んできたのかは分からないが、ここで断る選択肢は……ない。

「はい。良ければ」
『ホントですか!? 嬉しいです!』

 こうして、演奏者と見物客だった二人の関係は、SNSで繋がる友人となった。
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