「嫌です!」
 私は首をしきりに横に振った。それを受けて副総支配人の福田さんは、垂れた眉をさらに下げて困り顔の最上級を作る。
「そう言わずに頼むよ」
「私はコンシェルジュです」
「だけど、ご所望なんだよ。このホテルのことをより理解し、把握している人物という……」
「私より他の方がいると思います」
 そうだ。私のような中堅よりももっとベテランを採用すべきだ。
「私は秘書にはなりません」
 ツンと顔を背けるのはさすがに失礼だから、目を伏せた。「困ったなぁ」と福田さんの声が聞こえてきて良心が痛む。
 いや、駄目だ。ここで絆されて引き受けてしまえば、私はあの……
「灰原さん」
 突然、背後から聞こえた声にビクッと肩が上がる。こんな甘い、耳に残る美声は今のところ一人しか知らない。恐る恐る振り返ると、一日経っても相変わらず美しい人がにこやかな笑みを浮かべていた。
「あまりに遅いので迎えに来ました」
 副総支配人室のドアに軽く凭れている。ドアを開ける音が一切聞こえなかったけど、いつからそこにいたのだろうか。
「私はい……」
「総支配人命令です。従わないのであれば、それ相応の対応になりますが」
 彼の顔から途端に笑みがすっと引いていく。残ったのは冷たいエメラルドの輝きだけだ。美人だけに表情がなくなるだけで凄みが増して、ぞっと恐怖が背筋を這い上がる。
 出たな、本性。
「わかりました。参ります」
 ここまで言われたら福田さんの前で駄々を捏ねるだけ無駄だろう。私は椅子から立つと先に出た総支配人の後を追った。