「恋人の言葉だと努力をしても苦ではなくなるかも。楽しんで学ぶのが一番習得が早いので」
「なるほど」
 私もそうだと思う。恋人とコミュニケーションを取りながらのほうが、身になりやすいだろう。ただ、それが愛が先なのか、語学が先なのかと考えると勉強のために付き合うのは違う気がする。
「付き合ってみます?」
「へ?」
 ワイングラスを傾けかけた手が止まる。付き合う?誰と誰が?
「私とあなたです。日本人は交際前に確認するのでしょ?」
 私の頭の中を読み取った彼が淡々と答える。
 交際。
完璧にフリーズした頭でも、その言葉だけは耳に入ってきた。
交際とは、人間や国同士の付き合いのこと。主にこの場合は恋愛的な……って、私と総支配人が!?
「ちなみに、冗談ではなく口説いています。そのために店もここにしました」
 嘘でしょ!と叫ぶ前にまた先に言動を読まれて、中途半端に口を開いたまま固まる。
「ちょ、ちょっと待ってください」
私はそれを言うのが精いっぱい。展開についていけていない。だって、私と付き合うという選択をするうえで、総支配人のメリットって何?はっきりいって皆無だ。恋愛感情がなければ。
「つまり、総支配人は……私のこと……」
「好き、ということになりますね」
「う、うそ」
「こんな、たちの悪い嘘を言うタイプに見えますか?」
「み、見えません」
 だからこそ、困惑しているのだ。私も可愛げがあるほうではない。今まで上司なのに、けっこうズケズケと物申してきた場面もある。どこで惚れたのか皆目見当がつかない。
「ご、ごめんなさい」
 こんがらがっている頭の中で言語にできたのは、結局この一言だけだった。総支配人は大して驚きもせず、小さく首を傾げる。
「理由を聞いても?」
「だって……総支配人だし……職場の上司をそんな目で見てなかったというか」
 それをいきなり付き合うなんて無理だ。ただでさえ、私はそっちの方面に疎すぎる。
「うちの会社は社内恋愛禁止ではありませんし、節度を守れば問題ではないかと。他に私のどこか気に入らないところは?」
 な、ない。
完璧すぎる。いや、言うならば完璧すぎるところが二の足を踏む結果になっているのか。平凡な平均的日本人の私が絵本から出てきた王子様を体現したような人を相手にできるわけがない。
「お、お互いのことあまり知らないですし」
「では、これから知っていきましょう。そのうえで返事を聞かせていただきたい」
「え、あ、あのっ」
「よろしくお願いしますね。美希さん」
 頬杖をついて緩やかに微笑まれる。またあの目だ。見つめられると、全ての言葉を失ってしまう。決して拒絶させることを許さない、妖艶な光を帯びたエメラルド。
 ど、どえらいことになってしまった。
 蛇に睨まれた蛙状態で、自分の行く末を案じるとめまいがした。