悪魔の宝石箱

第三話 林間学校

異都の子どもたちは夏の日暮れ時、先生に連れられて林間学校に出かける。

 異都には古い時代に流れ込んだ海水で、塩の木が乱立する洞窟がある。塩分が多すぎて作物が作れないので、夏の間の子どもたちの避暑地になっていた。

 環がカンテラの灯りを持ち上げると、真っ白に結晶化した木立が照らし出される。何度見ても塩の木は細工物のように綺麗だ。

「お腹が空いても塩をなめてはいけませんよ。とても濃い塩分で出来ているので、子どものみんなは倒れてしまいます」

 先生にそう言われても、子どもたちの多くが塩の木を指先でこすって口に運んでいた。甘くておいしいんだよと彼らは笑う。

 環は素直な子だった。先生にいけませんと言われたら、きちんとそれを守る子だった。だから憧れるように木立を仰ぐことはあっても、手を伸ばすことはなかった。

「今日は食料保存について学びましょう」

 林間学校は一年に数日間。普段は両親の農作業を手伝っている、五歳から十三歳までの子が集まる。

 環は卒業しているので子どもではない。子どもたちに何か教えてあげたくて、先生になりたいと言った。けれど洞の外で夜を明かすのは、今も柳石に許してもらえない。

「たまきおねえちゃん、これでいい?」
「ちょっと詰めすぎてるね。上の方、少し出そうか」

 だから先生のお手伝いをして、授業が終わったら洞に帰る。そういう約束で、今も林間学校に通っていた。

 子どもたちが保存食を作るのを見守りながら、ふいに環はざわりと体がうずくのを感じた。

 振り向くと結晶化した木々がある。洞窟の中を迷路のように分けていて、視界が悪い。

 髪を結ってさらしていた首筋に塩の水がしたたり落ちたとき、ぞっとするような心地よさを感じた。

 柳石はよく優しく環の首筋を噛む。痛くはないが、朝になってもじわりとした熱を持っている。

 最近体のあちこちがそんな様子だった。柳石に噛まれたところが、空気や水に触れるだけで反応する。喪失感に似た感覚にひどく落ち着かなくて、柳石を探してしまう。

 ……もう一度、今度はきつく。そんなことを願ってしまう自分は変で、環は一生懸命他のことを考えようとしていた。

「どうしたのかな?」

 一人の女の子が足を投げ出しているのに気付いて、環は声をかける。

「塩に漬けたお野菜なんておいしくない。砂糖漬けが食べたいの」

 それは子どもたちにはよくある言葉だったのに、環はすっと足元が遠くなっていくような感覚がしていた。

 塩を取りすぎるのはよくないよ。柳石はそう言って、異都で一般的な塩漬けをあまり環に食べさせない。

 でもお砂糖はぜいたくだもの。柳石がよく勧める砂糖漬けの果物を環が断ると、柳石は楽しそうな笑みを浮かべた。

 では、たっぷりお食べ。そうささやいた柳石の甘い声音を思い出して、環は意識を失っていた。

 目が覚めると、柳石に背負われて歩いていた。環が目覚めたのに気付いたのか、柳石は振り向いて問いかける。

「気分は? どこか痛いところは?」

 心配そうな声は、幼いときから聞いていた響きと変わりない。

 柳石は昔から、過剰なほど環の体を気遣った。環が転んだだけで、抱き上げてどこも怪我がないか丹念に確認した。少し熱を出しただけで枕元から離れず、朝まで起きていた。

 「仕置き」が始まってから、柳石が怖い。掠れた悲鳴をこぼす環を喜ぶ。環はまるで、自分が彼の獲物になったような錯覚を覚えた。

「……なんでもない」

 彼はお父さんで、お母さん。壊れゆくこの小さな世界で誰より私を守ってくれた人は、どこにいってしまったのだろう?

 心がさらさらと塩の木のように崩れていくのを感じながら、環は目を閉じた。
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