No border ~雨も月も…君との距離も~
プロローグ
その男性は、店の扉にすがるように 慌てて中へ逃げ込んできた。

ショーケース越しの 私と目が合うと、雨に濡れた前髪をワシャっと かきあげて 少し照れたように、
ケラっと笑った。

ケラっと……。

軽く鼻で笑った後に 0.5秒ほどためて 口角を上げる。

似てる……。

思わず ハッとして「いらっしゃいませっ!」と仕事を思い出した。

お昼過ぎの店内、忙しさのピークを越えて 一段落しようとしていた時だった。

「通り雨ですかね。 突然きました……。」

その男性は、肩から色の変わったスーツを気にしながら 私を見て……

また……その笑い方をする。

『紗奈だけを……幸せにできれば それでいい。』

あの日、彼は そう言って いつものようにケラっと笑った。

私は 片付けかけていた ショーケースの照明を、もう一度 明るくする。

「たった今、雨が降る境目を見ました。
僕の目の前で 降り始めて……後ろは降っていないんです。
地面に、くっきりと 雨の境界線が できていたんですよ。」

男性は、少し早口で やっぱり照れたような表情で私を前髪の間から覗いた。

「……! スゴいですね。」

男性は、ショーケースに 近づくと サンプルに目を落として 会話を続ける。

「僕、東京から 出張なんです。前にも一度、ここで 買ったことがあるんですよ。」

「それは 気が付かなくて……。いつも ありがとうございます。」

「あ……っと。カラアゲ弁当 (大)で。」

スーツと同じく 少し濡れたネクタイを 緩めながら男性は、微笑む。

似ても似つかないその横顔と 懐かしいタイミングの笑い方に 2度も……ハッとして……

私は、自分の心につまづいてしまう。
つまづいていることに、気づいてしまう。

通り雨は、嫌いです。

激しく打ち付けておいて……それでいて何事もなかったかのように、私を 置き去りにする。

この通り雨の 始まりは どこなのだろう。
空にborderなど ないはずなのに……。

たった今、この瞬間、私の 見ている空の色は 違う場所で 違う表情を見せている。

境目のないこの空にさえも……そのborderは
どこかに ある。

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