偶然でも運命でもない
3.シュシュとローファー
夕陽が差し込む放課後の教室。
黒板の隅に書かれた松本大河という文字を消す。
消したばかりの場所に武田海都と書いて、手についたチョークの粉を払う。
明日の日直は海都だった。
このクラスの日直の仕事は教室の鍵を開けるところからスタートし、教室の鍵を閉めて次の日直に渡すところで終わる。
一緒に廊下に出て、鍵を締めると、海都の鞄に鍵を放り込む。
ポケットに手を入れると、指先にスルリと慣れない感触を覚えた。
引っ張り出して眺める。
紺色にピンクの花柄のリボンみたいな生地のふわふわしたヘアゴム。
「何それ」
振り返った海都が、大河の手元を覗き込む。
「パンツ?」
「は?」
「あ、なんだ。シュシュか。なんでそんなもん持ってるの?」
「しゅしゅ…?」
「知らねーの?なんか、そういうゴムみたいな髪留め。シュシュって言うの。」
「へぇー。」
海都はチャラい。姉貴が居るからか、女子にも物怖じしないし、化粧品やファッションにも詳しい。
小柄で整った顔立ちに似合わず、行動的でよく喋る。
だから、女子にモテる。
自分とは正反対だと思うが、一緒にいて気が楽だ。
「どうしたの? それ。大河、彼女とかいたっけ?」
「昨日、電車で拾ったんだよ。お前、一緒にいたじゃん。」
「じゃあ、駅に届けようぜ。」
「あー。うん。……直接、渡したくて。」
大河の言葉に、海都は不思議な物を見るような顔をした。
「なんだ。落とし主、わかってるやつ?渡せばいいじゃん。」
「知り合いじゃないんだよ。」
「どういうこと?」
「帰りの電車で、たまに見かけるんだ。」
「お?可愛い?」
「うーん。……多分、普通。」
ドアの横に立って、窓の外を眺める彼女を思い浮かべる。
スーツでも制服でもないが、ジャケットに白いブラウス。膝丈のスカート。多分、仕事用の服だ。
化粧は薄い。睫毛が長い。姿勢がいい。
それ以外は、至って普通。普通の女の人だとおもう。
……多分、普通。
「なんだよ多分て。」
「学生じゃないし。大人の女の人の可愛いって、わかんないじゃん。」
「お? 歳上? いくつ?」
「知らないよ。知らない人だよ。おばさんじゃないけど、若いかどうかはわからない。」
彼女の話を海都にしたのは失敗だ。
しつこい追求に、うんざりする。
「有名人に例えると?」
「俺、テレビあんまり見ないからわかんない。」
「なんだよー! ヒント無しかよー!」
大袈裟なアクションで崩れ落ちる海都。
こいつ、無駄に元気だな、そう思うがそのテンションに釣られてしまう。
「何のヒントだよ!?」
「お前の好きな人。」
「俺、そんなこと一言も言ってないよね?」
「いやもう、それは恋でしょ。恋じゃなかったらなんなの? 興味なかったら、駅に届けておしまいじゃん。」
海都は、ニヤリと笑うと大河の胸を指差した。
「落し物を拾ったのは? 好きな人に話しかけるチャンス!!」
「お前、ウザい。」
笑いながら肩を叩くと、海都も笑って「会えるかな? その人。」と大河の肩を叩き返す。
玄関で上靴をローファーに履き替えて、外に出ると、陽は落ちきってすっかり暗くなっていた。
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