月の記憶、風と大地
津田の優しさと気づかいが身に染みる。

弥生は素直に感謝した。


「今からは、どうされるおつもりですか?」
「ほとぼりが過ぎたら、帰ります。どうしようもありませんからね」


津田の瞳の奥で捕食者めいた色で弥生を見つめる。
弥生は気づかない。



「良かったらおれの家へ来ませんか。女性が夜、ひとりで外にいるなんて良くありませんよ」


弥生は目を丸くした。


「で、でも」
「気にしないで。困った時はお互いさまですよ。シングルなので、嫁さんもいないですし」


津田が笑ったとき穣が戻ってきた。


「もうブランコしてもいい?」
「おお、いいぞ。よく我慢したな」
「うん!ぼく云うこと聞けるよ」



嬉しそうに父親にブランコを揺らされる穣を見つめ、弥生は自然と笑顔になった。


「ブランコが好きなのね。この前も……」


云いかけて弥生は慌てて口を押さえるが、津田は訊き逃さなかったようだ。


「この前?」
「……実は」


弥生は先週、二人に出会っていたことを話した。
その言葉に津田は思い出したように、表情を明るくさせた。



「ああ、あのとき隣のブランコにいたの、野上原さんだったんですね。偶然だな」

「仕事帰りだったんですね」

「ええ。今もですが、たまに遊んでから帰るんです」



津田は笑った。
弥生は津田の笑顔が眩しく感じた。

こんな風に笑う人間を見たのは、久しぶりだった。
夫と笑って会話することもない。


「あの夜は寒かったよなあ」


津田の言葉に弥生はドキリとした。
急に砕けた言葉づかいになったこと、理由を訊かれたからだ。



「実は、あの夜が最初の浮気現場を見た日で、求人を探していたんです。店長がお帰りになられた後、求人を決めて申し込みました」

「そうだったんですか。その偶然もすごいな」



津田は笑顔で頷いた。
父親を慕う穣の姿は弥生を微笑させる。

その姿は弥生の考えを改めさせた。


「私、やっぱり今日は帰ります」


弥生はブランコから立ち上がる。
津田は弥生を見上げる。



「津田さんのご厚意はありがたいのですが、男性の家へ上がる軽率なことをしたくないんです。……ただ、ひとつお願いがあります」



愛人と夫の不貞の証拠写真だ。

今から帰ったら、スマホを操作されて隠滅される恐れがある。
だからそれを津田に保管してもらいたかった。



津田はそれ以上は云わず、頷いた。



「お安いご用です」
「気持ちの悪い写真で、すみません」




無料通話メールアプリを使い、写真を津田に転送する。
一応メールも使い、そちらでも画像を保管してもらった。


「責任を持ってお預かします」


津田が云った。


「本当にすみません」


弥生は頭を下げる。


「では明日、また連絡します」
「はい。よろしくお願いします」
「バイバイ!」



穣が父親の手を繋いだまま振り返る。

弥生は手を振り、やっぱり断って正解だと思った。

あんな小さな子供がいる家に見知らぬ、しかも泥沼になりそうな女が上がり込んではいけない。


弥生は親子を見送ると自分も自宅へ戻って行った。

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