異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。～王子がピンチで結婚式はお預けです!?～

「お互いに知らなくちゃいけないことがあるはずだわ」

　事情は私の口から話すべきではないので、なにも言わずに彼をエミリさんの病室に案内した。固く閉じられた扉の前に立ったロメリオさんは恐る恐る「エミリ？」と声をかける。その様子を少し離れたところからシェイドと見守っていると少しの間があって、返事があった。

「……ロメリオなの？」

　声が聞こえた途端、緊張の面持ちで病室の前に立っていたロメリオさんの表情がぱっと明るくなる。

「ああエミリ、そこにいるんだね。君が病にかかって施療院にいるって聞いてから、こうして声を聴くまで生きた心地がしなかったよ」

「……来ないでなんて言って、ごめんなさい」

　涙交じりの謝罪を聴いたロメリオさんは居ても立っても居られない様子で扉に手をつく。

「エミリ、どうして会えないのか教えてくれないか？」

「……それ、は……」

　エミリさんの迷いが直接心に流れ込んでくる気がして、私は胸をおさえた。
　頑張って、きっとロメリオさんはあなたを受け入れてくれる。来ないでって突き放しても、こうして会いに来てくれたんだから。
　結婚式間近だったふたりの縁が簡単に切れるはずない、と私は固く閉ざされた病室の扉を見つめる。
　
「私、すごく変わっちゃって、きっとロメリオは……幻滅すると思う」

「見た目がってこと？　そんなのどうでもいいよ。君が生きていてくれたら、それだけで十分だ」

　それでも、「でも……」と迷いを捨てきれずにいるエミリさんに、ロメリオさんは痺れを切らしたのか、勢いよく扉を開け放った。
　その前に座り込んでいたエミリさんは目を見張って固まる。その顔は昨日よりも張りを取り戻してるとはいえ、元通りとはいかず年齢より老け込んで見えた。
　
「あっ、あ……み、見ないでっ」

　両手で顔を覆うエミリさんを見たロメリオさんは一瞬、その顔貌の変化に衝撃を受けた様子で動きを止める。それでも深呼吸をして静かに彼女に歩み寄ると、そっと腕の中に包み込んだ。

「前に話しただろう？　僕は子供の頃から顔のそばかすをゴミをつけて歩いてるって、からかわれてた。それが嫌で、俯いて話すのが癖になってて……」

「覚えてるわ。だから大きな眼鏡で、少しでもそばかすを隠そうとしてるんでしょ。私は好きだから、隠さないでって言ったのに」

　ロメリオさんの胸に顔を押しつけたまま、エミリさんが答える。そんな彼女の頭を撫でながら、ロメリオさんはははっと笑う。

「君が僕の働いてる花屋に来てくれて初めて目が合ったとき、君は僕が気にしていたそばかすを指さして、『種みたいね、今にも花が咲いてきそう』って言ったのは覚えてる？」

「うん、本当にそう見えたの。花屋のあなたにぴったりだし、可愛いなって」

「いつもの僕なら、その言葉をまたバカにしやがってって、卑屈に捉えていたと思う。でも不思議と……君のは嫌味に聞こえなくて、つい笑ったな」

　話しているうちにロメリオさんの態度が変わらないことに安心したのか、顔は俯けたままだけれどエミリさんは小さく笑う。
　そんな彼女の頬にロメリオさんは手を添えた。

「君はどんな僕も受け入れてくれたね。僕は……君の屈託ない笑顔で僕を受け入れてくれたところに惹かれたんだ。君の心を愛したんだよ」

「……っ、ふ……」

　声をもらして、エミリさんは小刻みに身体を震わせる。そんな彼女の顔を少しずつ上向かせると、ロメリオさんは目を細めた。

「君は君のままじゃないか、なにも変わってない。こうして目の前に存在してくれてるだけで、世界中の人に感謝して回りたい気分だよ」

　欲しくてたまらなかった言葉をもらったエミリさんは眉根を寄せて唇を引き結び、必死に泣くのを堪えていたのだが、その瞳から雫が次から次へとこぼれる。
　ロメリオさんは彼女の濡れた顔を何度も手のひらで撫で、キスをした。

「よかったわね、本当に……」

　感動して、私は自分の目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。
　しばらくふたりの姿に目を奪われていると、ふいに視線を感じて隣を向いた。いつの間にかシェイドが私を見つめていたことに気づいて、小さく心臓が鳴る。

「あなたは出会ったときから、自分のことでは泣かないのに誰かのために涙を流す。どんなに時間を重ねても、穢れを吸わずに心が綺麗なままだ」

「あなたの目にこの心が澄んで映っているのなら、きっと優しさや想いの美しさを私が患者さんから教えてもらっているからだわ」

　私が人に優しく公平に接することができるのは誰かに支えられているという心の余裕を婚約者であるシェイドや仲間である月光十字軍の皆さん、看護師や医師のマルクたちからもらっているからだ。

「人は鏡だから、私がなんの愛情も知らずに育っていれば、誰かに愛を与えることはできないでしょう？　知らないものを誰かに注ぐことはできないから、私が綺麗な心を持てたのはこれまで出会ってきた人たちのおかげね」

　私が人に恵まれていただけなのだ。今の私を象っているのはあなただと胸を張って言えば、シェイドはやっぱり眩しそうに見つめてくる。

「若菜といれば、俺はずっと聖人君主でいられそうだ」

「あなたはあなたのままでいいのよ。今でも十分、民のために心を裂いて頑張っているんだから」

　私たちは額を重ねて目を閉じる。
　今、彼がここにいいてくれることにどれだけ救われているのか、当人は気づいているのだろうか。
　散っていく命になにもできなかったと悔いても、まだ誰かのためにできることがあると私が走り回れるのは彼がそういう人だからだ。

「さあ、もうひと踏ん張りしましょう」

　私たちはロメリオさんたちを残して静かにその場を離れると、残りの薬や経口補水液を配って回った。

　数日経てば患者の全員が歩けるまでに回復し、クワルトがメイヘラの輸入を主に行っていた港に赴き仕入れを停止させたことでアストリア王国での新たなコレラ発症患者の数は確実に減っていった。