異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~
▼7話 絶体絶命


 エヴィテオールの王宮に帰ってくると、休む暇もなくミグナフタ国への出立に向けて王宮内は慌ただしくなった。

 シェイドは記憶を失くしているので戦地に向かわせるわけにはいかず、アスナさんを護衛につけて王宮に残る。

 援軍は月光十字軍と王宮騎士団から半々ずつ兵を集めて軍を再編成し、ダガロフさんが指揮を執ることになった。そこへ同行する治療班には私と私の護衛役にアージェ、王宮看護師が数人配属されている。

 ちなみに、医師であるマルクと看護師のオギは今回は遠征に参加しない。

 というのも、シェイドの記憶喪失に対する治療という特殊任務を与えられているためだ。有効な治療はないとはいえ、記憶を失うほどの脳へのダメージを負っているシェイドには医療面の介入が必要不可欠だ。

 それを私が騎士の皆さんに相談すると、真っ先に白羽の矢が立ったのがふたりだった。月光十字軍が一度目の王位争いで敗北したあとも、ふたりが権力に屈することなくシェイドについたのが人選の理由だろう。

 本来なら私がそばで見ていたかったのだけれど、ミグナフタ国のことも心配だった。

 敗戦した月光十字軍があの国に匿ってもらっている間、本当によくしてもらったのだ。

 ミグナフタ国の治療館で一緒に働いたシルヴィ先生や同僚たち、それからエヴィテオールの王宮奪還作戦でシェイドと共に軍を率いたエドモンド軍事司令官。仲間が大変なときに私が王宮に残っているなんてできない。それがシェイドにとっても大事な人たちであるなら、なおさらだ。

「……そう、シェイドは記憶を失ったの」

 落胆が滲んだ声音につられて、私は我に返る。
 今しがた地面に置いたランタンの明りに照らされた牢屋。その柵の向こうへ視線をやるとブラウンの長髪と揃いの瞳を持つ三十代くらいの男性の姿があり、彼は腕を組み壁に背を預けながら膝を立てて座っている。

「ニドルフ王子、ええ……兄であるあなたには知らせておこうと思って」

 そう、彼はニドルフ・エヴィテオール。父親である国王と第三王子であるオルカ様を殺し、シェイドとの王位争いで剣を交えた末に失脚したエヴィテオールの第一王子だ。王族であるため死罪にはならず、ここで無期限の懲役に処されている。

「俺はここから出られないからね。その話を聞いたとしても、謀反を起こすことはないと
踏んだわけだ」

 自嘲を含む笑みをこぼしたニドルフ王子の目は王座に執着していたときの狂気じみたものとは違っている。これもシェイドが義弟として、重い罪を犯した彼に向き合い続けると告げたからだろう。

 だから私もシェイドが王子ゆえにニドルフ王子にしてあげられないことを代わりにすると決めた。シェイドが頻繁にこの王宮の地下牢に顔を出せばあらぬ噂を立てられかねないので、私がこうしてときどき様子を見に来ているのだ。

 数ヶ月前の怒涛の日々を思い出していると、ニドルフ王子の声が私を追憶の旅から引き戻す。

「でも、あれは根っからの王子だ」

「え?」
 
「幼い頃、第二王子の自分が国王になるなどと微塵も思っていなかったシェイドは俺に言った。兄上がこの国を照らす太陽になるならば、俺は月のように兄上が救いたくても手が届かないものを密かに照らし守ると」

 シェイドがそんなことを……。
 ニドルフ王子が謀反を起こさず、シェイドと手を取り合っていればそんな未来もあったのかもしれない。過去は変えられないとわかっていても、運命に翻弄された彼らを思うと胸が締めつけられた。

 そうやって考えても仕方のないことを永遠と悩んでいる私に気づいていないニドルフ王子は淡々と話し続ける。

「小さな子供であるうちから、シェイドは第二王子という立場では国王になれないと理解していた。それでも腐らず、あれはこの王宮で自分のすべきことを常に見出してきたんだ。記憶がなくなろうとも、大事なものはなにひとつ失わせはしないだろうね」

 まるで、〝俺とは違って〟と言いたげな響きがあった。
 ニドルフ王子は自分の地位を守るために、大事なものであろうと容赦なく切り捨てた。そのうちのひとつが失われていなかったと知ったら、どう思うだろうか。

 ニドルフ王子が切り捨てたもの、オルカ王子はこの世界にクワルトとして生きている。

 オルカ王子として殺され、湊くんとして私の世界に生まれ変わって病死したあと、再びこの異世界に転生したのだと思う。

 あくまで仮説だけれど、私が十六歳のはずの湊くん――クワルトに再会したしたとき、彼はすでに成人していた。もし私がトリップしてくる前の時間軸に湊くんが転生したならば、年齢が合わなくてもつじつまが合う。

 この事実を話すべきか、私は迷っている。シェイドやニドルフ王子にとって、オルカ王子の死は埋められない兄弟の溝を深めた原因でもあるからだ。

 少しずつだが前を向き始めた彼らをまた揺らがせてしまうのではないか、そんな不安が頭を過る。

 しかもニドルフ王子は自身の罪から解放されたいがために自害しようとしたことがある。オルカ王子が生きていると知ったなら、余計に自分の罪を自覚して命を絶とうとするのではないだろうか。

 考えた結果、まだ話すときじゃないという答えが出た。それにクワルトの口からも直接聞いたわけじゃない。また会えたときに確かめて、それから伝えるべきだ。ぬか喜びをさせて、余計な罪悪感を味合わせないためにも。 

「ニドルフ王子は……シェイドをとても買ってるのね」

「ああ、だから安心していい。あれはなにも変わらない」

 口調が柔らかなものに変わって、私は引っかかりを覚えた。

 安心していい、なにも変わらない?
 彼の言葉を心の中で復唱して、ようやく意味がわかった。
 皆にはシェイドの記憶喪失の話をしたあと、私が婚約者であることは話さないでほしいと頼んでいる。

 もし、ニドルフ王子の言うように記憶がなくても愛情が変わらずその身に刻まれているのだとしたら、シェイドは私をもう一度好きになってくれるのだろうか。

「ニドルフ王子は、私を励ましてくれてるんですか?」

 見当違いなら恥ずかしいけれど、彼はきっと『忘れられても変わらず、シェイドは私のそばにいる』と言いたいのだ。

 わかりずらいが、優しさを恩着せがましくひけらかさないところがシェイドに似ている。ニドルフ王子は私の問いには答えなかったけれど、ただ穏やかな顔で微笑んでいた。
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