異世界で、なんちゃって王宮ナースになりました。~王子がピンチで結婚式はお預けです!?~




 出立前、少し時間があった私は援軍を見送るために王宮の屋上に出ていたシェイドと一緒にいた。

「風が強いわね」

 制服の上から羽織っている月光十字軍の紋章が刺繍された濃紺のローブが鳥の翼のように大きな音を立ててはためく。
 私は乱れる髪を耳にかけながら正門を見下ろす。そこにはすでに援軍の騎士や兵、それから治療班の看護師たちが集結していた。

「――行くのか」

 耳が風に掻き消えてしまいそうなほどか細い声を拾って、私は隣に立つシェイドを見上げる。

「ええ、私は看護師だもの」

 王子の役目と比べるのはおこがましいが、私は医療を学び技術を持つ者として看護師の役目を果たさなければならない。それはニドルフ王子が話していたように、王子として自分の成すべきことをなしてきたシェイドに恥じない生き方をしたいからだ。

「力ある者はそれを正しき場所で、助けを求めている者に差し伸べなければ。その強さを教えてくれたのは、あなただった」

「若菜にそんなふうに言ってもらええる昔の俺は……幸せ者だな」

 また、過去の自分と比べているのだろうか。そんな彼にどんな言葉をかけてあげるべきなのだろうかと考えて、私はシェイドに向かって足を踏み出す。

「いいえ、今も昔もあなたはあなたよ」

「それは、どういう……」

「記憶を失うなんて、突然見知らぬ世界に放り込まれたようなものよね」

 言葉を遮って、その腰に腕を回すとシェイドが息を呑むのがわかった。

 私が異世界に来たことを打ち明けたとき、彼はこうして『心細かっただろう』と抱きしめてくれた。『居場所がないなら、俺と共に来てほしい』と、私に帰る場所をくれた。

 ならば、私があなたに返せるものは――。

「あのね、私もいきなり異世界に連れてこられたことがあるの。知っている人も知っている場所もなくて……それが不安でたまらなかった。だけど、そんな私を抱きしめて守ると言ってくれた人がいたわ」

 あの日と立場は完全に逆転して、私はシェイドの背中を子供をあやすみたいに規則正しく叩く。

「その人のおかげで、私はここまで生きてこれた。だから、あなたも覚えておいて。あなたはひとりじゃない、シェイドの帰る場所はここにあるわ」

「若菜……ああ、覚えておこう」

 シェイドの腕が私の腰を引き寄せると、後頭部に回った手に力がこもる。目の前の厚い胸板に顔が押しつけられて苦しくなった私が顔を上げると、切なげに揺れる琥珀の瞳に捕らわれた。 

「自分でもなんでこんな気持ちになるのかはわからないが、過去にあなたを抱きしめて慰めたのは男だろう? それに腹が立った」

「……へ?」

 自分でも驚くほど素っ頓狂な声がでた。私が目を瞬かせていると、シェイドは私をさらに強く抱きすくめる。
 まさか、自分自身に嫉妬しているだなんて思いもしないんでしょうね。

 それがおかしくてくすくすと笑っている私に、シェイドはばつが悪そうに視線を宙に彷徨わせる。

「笑いごとではないんだが……」

 この人は本当に仕方ないな、と私はシェイドの頬に手を添えてこちらを向かせる。
 シェイドは目を見張っていたが、構わずはっきりと告げた。

「安心して、私の心はすでにあなたのものだから」

 遠回しに告白をした私にシェイドは絶句していた。彼の顔からいつもの愛想笑いが崩れ去っていて、また笑いがこみ上げてくる。 

 けれども出立の時間が迫っていたので、私はそっとシェイドの胸を押して距離をとった。

「ふふっ、とにかく――必ずあなたのところへ帰るわ。あなたが居場所を失ってしまわないように、必ず」

「若菜……」

 私に手を伸ばしかけ、やがてなにかを堪えるようにシェイドは拳を握って腕を下した。そのまま俯いて考えに耽っている様子だったが、すぐに顔を上げると真摯な目でまっすぐに見据えてくる。

「行かせたくはないが、あなたを止めることはできないと心が訴えかけてくる。だから……俺はこう言うべきなんだろうな」

 シェイドは今度こそ私の手をとると、勢いよく引っ張って距離を詰めてきた。鼻先がぶつかりそうなほど顔が近づいて、心臓が高鳴る。

「約束してくれ、俺の元へ戻ると」

 強い風、悲痛な願いと同時に重なる額がやけに熱く感じられて、私はその温もりを記憶に刻みつけてから答える。

「シェイド……ええ、必ず」

 ――必ず、あなたの隣に帰る。


  

 エヴィテオールの王宮を出発してから二週間。
 私はミグナフタの国境付近にある野営地に来ていた。砦が見え、かつ姿を隠せる森の開けた場所に設営された幕舎の中で、私はダガロフさんと一緒にエドモンド軍事司令官やシルヴィ先生と作戦を練っている。

「シェイドの野郎が来れない理由は承知したが、こんなときに記憶喪失なんて情けねえな、あの腹黒うつけ王子」

 エドモンド軍事司令官は王子であるシェイドに容赦ない口を利くが、それはふたりの間柄が親しい証拠だ。

 援軍にシェイドが不在なのは同盟国として信用問題に発展しかねない。そのため、事実をひた隠しにもできず、ダガロフさんがふたりにシェイドの記憶喪失について話したのだ。

 だが、話して早々に国の機密事項をペラペラと喋るエドモンド軍事司令官にダガロフさんが頭を抱える。

「エドモンド軍事司令官、言動には気をつけてくれ。誰の耳があるとも知れないのだからな」

「ダガロフ、俺を見くびんじゃねえ。人の気配がすりゃあ、すぐにでも気づけるっての」

 自慢げにふんっと鼻を鳴らすエドモンド軍事司令官の隣では、シルヴィ先生が白衣のポケットに手を突っ込んでぼんやりと地面を見つめていた。

 いつも気怠げではあるが、ここまで心ここに在らずな彼は珍しいので、私はその顔を覗き込みながら声をかける。

「シルヴィ先生、再会がこんな形になるなんて思ってもみませんでしたね」

「……あ? ああ、お前とは結婚式依頼だったか。あんときは式の途中でお前が攫われるし、今度はこの国に侵入者……。お前と再会するときは、なにかしら起こるから面倒くせぇ」

「あの、私が災厄を連れてくるみたいな言い方やめてくれます?」

 挨拶代わりに恒例の軽口の叩き合いをすれば、仕事仲間であったシルヴィ先生の懸念が砦にいた看護師たちの安否だろうことはすぐに察しがついた。
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