身代わり令嬢に終わらない口づけを
プロローグ
 その青年は、自分の見ているものが信じられなかった。

 彼の目の前で、妙齢の若い女性が中年の男と取っ組み合いのけんかをしていたのだ。場所は、大通りの真ん中にある雑貨屋の前。馬車も行き交う賑やかな通りに、やじうまの丸い輪ができている。
 その輪から少し外れたところには、店の親父らしい男が若いメイドと手に手をとってぽかんと口を開けてその光景をみていた。

 泥だらけになって男に飛びかかる女性を、青年も唖然として見つめる。金色の髪を振り乱し、スカートのすそをからげて、女性は男に噛みついた。

「いてててて、離せ!」

「っはっ! 離してあげたんだから、彼女に謝んなさいよ、この痴漢野郎!」

「ふざけんな、アマァ!」

 男が手を振り上げたのを見た青年は、は、と我に返ってあわてて持っていた荷物を放り出すとその女性をかばうように止めに入る。

「ちょっと、君!」

「なによあんた! 邪魔しないで!」

「そういうわけには……」

 中年男の方も、まわりで見ていた人々が次々に止めに入った。次第にあたりに人が増えてくると、中年男もばつが悪くなったのか、捕まえていた人々の隙を見て脱兎のごとく逃げ出した。
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