恋、花びらに舞う
7. 冬銀河

由梨絵はスペインから戻って間もなくマナミを食事に誘った。

バルセロナの土産を渡したいから、久しぶりにランチでもどうかと伝えると、



『ランチは時間が全然たりない。ゆっくり腰を落ち着けて話せるお店を探しとく。

レースの感想も聞きたいし、それから朝比奈さんとのことも、全部話して。いいわね』



電話口で一気にまくしたてたマナミは、まもなく和食の店を予約したと言ってきた。

店の名前を聞いて一瞬断ろうと思った由梨絵だったが、個室と料理も予約したとマナミに言われて言葉を飲み込んだ。

そこは、辛い思いを抱えながら圭吾に別れを告げた店だった

店に入ったとたん忘れていた思いがよみがえり、胸の奥に重苦しさを感じたが、案内された席までその時と同じで思わず苦笑した。

その笑いを照れ隠しと受け取ったマナミは、「ねぇ、いつから?」 といきなり質問をはじめた。



「いつって、レースチームのスタッフになったのは、夏休み前だったかな」


「そうじゃなくて」


「朝比奈さんにチームのメンタルサポートを頼まれたこと、話したじゃない」


「それは聞いた」



マナミはあきらかに苛立っていた。

自分の返事が友人をイラつかせているとわかっていながら、由梨絵はなおもとぼけた。



「あのひと、突然大学に来て、学長に直談判だったの。断れないでしょう」


「それも聞いた。私が聞きたいのは、由梨絵と朝比奈さんはいつから」


「同じ部屋で朝まで過ごす仲になりました。これでいい?」



レースチームのスタッフに名を連ね、欧州遠征に参加することはマナミにも伝えていたが、プライベートの関係までは話していない。

マナミとは長い付き合いだが、互いに踏み込まず、ほどよい距離で関係を保ってきた。

圭吾との別れもマナミには事後報告で、それでも責められることはなかったのに、今日のマナミは由梨絵の新しい恋に強い関心を見せた。



「それを早く言いなさいよ……春のパーティーで、朝比奈さん、由梨絵を気に入ったみたいだったから、もしかしたらそうなるんじゃないかと思ってた」


「そう? 私にはまさかの展開だったけど……それに、彼と別れたばかりだったから、マナミに言い出しにくくて」


「恋の傷は新しい恋で癒すのよ。よかったじゃない」



言い訳のように友人への報告が遅れた理由を添えた由梨絵は、こだわりのないマナミの言葉が嬉しかった。



「そうなると、やっぱり心配だな」


「心配って?」


「朝比奈さん、人気あるじゃない。近づく女性も多いのよね」



和真めあてでレース場に出かける女性ファンもいるのだと、マナミはおおおげざに顔をしかめた。



「朝比奈さんと付き合ってるのが由梨絵とわかったら、嫌がらせがあるかも。

ファンの中には、自分が朝比奈さんに選ばれると思い込んでる子もいるんだから」


「そんなファンがいるの?」


「そうよ。由梨絵の話を聞いて、朝比奈さんと付き合ってるんじゃないかと思った。だから心配だったの。

ホント、冗談抜きで気をつけてよ。朝比奈さんとどんな関係ですかって、言ってくる子がいるかも」


「わかった。でも、なにか言われてもスタッフで通すつもり。実際そうだけど」


「レース女子、みんながそうじゃないけど、朝比奈さんにも話しておいた方がいいよ。あまり彼女たちに優しくしないでって」



和真の女性ファンに気をつけるよう繰り返すマナミに 「わかった。ありがとう」 と伝えたが、和真の人気がどれほどのものか、由梨絵には想像がつかなかった。

これまでの女性関係は褒められたものではないと、和真の友人の日野智之が教えてくれたことを思い出した。

数年前、日野の弟が亡くなった事故のショックから立ち直れず、弱った和真に言い寄る女性も多く、来るもの拒まずで女性をそばに置くような荒れた生活を送っていた頃があった。

支えてくれる人を探していたのでしょうと、日野は友人をかばう言葉を口にして和真の昔を語ったのだった。



「アイツは情の深い男です。由梨絵さん、和真をしっかりつかまえてください」



男の自分にはできないと言うが、事故のあとも遠征先に欠かさず出向く日野は、誰よりも和真の支えになっていたはずである。

マナミが選んだ 「店自慢のおまかせ料理」 を口にしながら、由梨絵は和真のことばかり考えていた。



「こんなに柔らかいお肉、ひさしぶり。やっぱり松坂牛は美味しい……しあわせ」


「盛り付けも変わってない……」


「由梨絵、ここに来たことあるの?」


「彼に別れ話をしたの。この席で……」



目の前の膳も圭吾に別れ話を告げたときと同じメニューで、デザートのくず寄せの飾りつけまで一緒だった。

あのとき胸の痛みを抱えながら口にした料理は味気なかった。

今日は、小皿のどれも上品な味わいで、松坂牛のミニステーキは口の中でとろける柔らかさだった。

ゆっくりと料理を味わい、友人と語り合った夜、由梨絵の胸の奥に残っていた別れた男の顔は薄れ、和真の輪郭がしっかりと刻まれた。

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