魔法使いになりたいか

§6

「そういえば、お父さんの戒名代ってどうしたの?」

俺は正直、お前らにあのクソ親父のことを、『父さん』とか気軽に呼んでほしくないし、自分のことも兄弟だなんて、思われたくない。

「知らない。親父が自分で勝手に考えてた名前を、彫ってもらった」

うちみたいな貧乏本屋に、そんな金は出せない。

だから親父は、自分の戒名を自分で考えてた。

本当に馬鹿で非常識な男だ。

「なんかそれって、和也のお父さんらしいよね」

今度は千里が笑って、自分の母親の名前が刻まれた位牌を指差した。

「でも、うちの母さんも、全く知らない誰かに名前をつけられるより、お父さんに名前を付けてもらった方が、うれしかったと思うよ」

千里は九歳の時にこの家に来た。そして十一歳で、事故で母を亡くした。

その時の入院費用がかかりすぎて、まともな葬式もしていないし、最低ランクの戒名代も出せなかった。

「位牌とかいらないって、言ってたのに」

「『3つも位牌が並んでたらおかしいから、私はいいや』って、言ったんだ」

その頃から生意気だった千里は、母の死後、すぐにここから飛び出して芸能界に入った。

「だから、作った」

その結果、こんな異様な風景が出来上がった。

同じ男の名前の隣に、それぞれ違う女の名前が連なった三体の位牌。

「ま、確かに変だよね」

尚子と千里は笑ったけど、俺は笑えない。

いつの間にかすっかり居着いている猫が、その頭を俺の足にすりつけた。

俺がどんな気持ちで過ごしてきたのか、お前らには絶対に分かってほしくない。

線香の臭いが充満する部屋で、チンチンと呼び鈴のように鐘をならして、申し訳程度に手を合わせた後、千里は両腕を伸ばして大きく伸びをした。

「あー、お腹へったぁ! そういえば、あっちにご飯おいてあったよね」

「私も食べるー」

千里に続いて尚子まで立ち上がり、俺の最高の誕生日メニューを物色している。

「おい! ちょっと待て!」

「やだ、もうお昼じゃなーい」

「お姉ちゃん、ケーキもあるよ!」

「お参りしたら、帰るんじゃなかったのか!」

「そんなこと、一言も言ってないし」

「そうだよねぇ」

二人は勝手に台所に入り、冷蔵庫を開け、俺が作り置きしておいたおかずのタッパーを次々と皿にあけていく。

「おい、やめろ! 勝手に触るな!」

そこはお前らが勝手に触っていいところではない。

タッパーの順番は賞味期限、痛みやすさ、作った日時、熟成期間、栄養バランス、その他もろもろ全てを考慮したうえで、綿密に計算され配置されているのだ!

「あ、そうそう、あたし、今日からここに住むから」

「はい?」

尚子がとんでもないことを口にする。

「あー、そうなの? 実はわたしも~」

「なんで!」

「税金対策」

「そんなの、俺が認めるわけないだろ!」

二人はおかずののった皿を、がしがしちゃぶ台にのせていく。

尚子は、台の上を一通り見回して言った。

「私のお茶碗は?」

「急にそんなこと言われて、許可できるかよ!」

「ねぇご飯。早くお茶碗出して」

この女共に限らず、人間というものはその性質上、お腹がすいていたら、まともに人の話しも聞けないし、思考力も落ちる。

俺はずっと置きっ放しになっていた、尚子の茶碗を棚から取り出した。

「今日から同居するとか、聞いてないけど!」

話しを円滑に進めるために、俺はその茶碗にご飯をよそう。

けっして尚子の命令に対し、従順に反応しているわけではない。

それ以外に他意は全くもって一ミリもない。

「こないだ税務職員が来たでしょ」

「あぁ、なんか書類持ってきて」

「箸」

尚子のお箸は、深い緑のキラキラの柄のやつ。

「税金対策でここの本屋の赤字経理を利用してるんだけど、監査がうるさくってさ。住民票、ここに移して住むから」

「はぁ?」

「大丈夫よ、ほとぼりが冷めたら、ちゃんと自分ちに帰るから」

尚子は平然とみそ汁をすする。

「住民票移すだけだから」

「それって、結構なことじゃない?」

「なにが?」

まるで本当の家族みたいじゃないか……なんて、口が裂けても言えない。

「あんた、私をなめてんの」

反論の出来ない俺に向かって、平気でそんなことをいう奴だ。

本音と建て前なんて、別に決まっている。

つまり、税金対策以外のなにものでもない。

「もー待てなぁ~い、いただきまぁーす!」

ほんのわずかの間気を抜いていた隙に、千里は俺の使っていた箸で、食べかけのごはんに手をつけた。

「ちょ、それ俺の!」

「だってお兄ちゃん、私もうお腹すいて、我慢出来ないんだもん!」

とにかくコイツの場合は、なにをしでかすか全く予測がつかない。

だから、コイツの暴挙を防ぐためには、俺は常に先回りして行動する必要があるのだ。

「で、あんたは? 今が盛りの人気アイドルが、なんで実家に戻るの? 今度は何をやらかしたわけ?」

俺が千里専用の黄色の茶碗を取り出し、朱色に花柄の箸を取り出している間にも、俺の大切なかますの干物が減っていく。

「いやぁ~、ファンの追っかけがすごくってさ」

にやりと笑った千里に、同じくにやりと尚子が応戦する。

「今度は誰との熱愛報道?」

「これ、いっとくけどドラマの番宣で、ヤラセだからね」

千里はそこにあったみそ汁をすする。

「お・れ・の・ご・飯! それ!」

「お姉ちゃんも、ここに住むの?」

千里の目の前に、ご飯を山盛りよそった茶碗と箸と、みそ汁も置いた。

「しばらくの間ね」

「わたしも!」

ついでに、尚子のみそ汁も文句を言われる前に追加しておく。

「ホント、実家って便利だよねぇ」

二人はケラケラ笑ってるけど、俺にとっては、死活問題だ。

「俺のご飯!」

とりあえず二人の食事の準備が整った。

ここで、ようやく俺が怒っていいタイミング。

両拳をドンと台に叩きつけて、やっとおしゃべりが止まった。

「自分で出してきなさいよ」

「自分の食べる分くらい、お兄ちゃんなら他にあるでしょう」

テーブルに並んだ料理を順番に眺めた。

こいつらが勝手に出してきた俺の作り置きおかず。

「あぁ、あった」

残った野菜を千切りにして浅漬けにしたものを、ハムで巻いておいたやつが出ていない。

あれは早めに食べないといけないから、冷蔵庫のまた別の場所にしまっておいたんだ。

それを台所に取りにいったついでに、残っていた煮物も持ってくる。

俺が席についたら、尚子と千里が手を合わせた。

ご飯を食べる時は、全員が席に着いてから、手を合わせて『いただきます』を言う。

俺が唯一、こいつら相手に成功したしつけだ。

「いただきまーす!」

三人の声が重なる。

勝手に入り込んできた猫は、いつの間にか座布団の上で丸くなって寝ていた。
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